The Herod Times: ラフィアンターフマンクラブとヘロドの子孫たち

日本の桜

去る3月19日、「マイネル」もしくは「マイネ」の冠名で知られるサラブレッドが所属するラフィアンターフマンクラブ(以下、ラフィアン)の創始者岡田繁幸氏が、71歳の誕生日の朝に逝去された [1]。およそ賭け事としての競馬には興味のない私は、岡田氏のことは亡くなられるまで存じ上げなかったが、一口馬主(ひとくちうまぬし)システムを普及させ、わが国の競馬ファンの裾野を拡大した点で多大な功績を上げられた方だった [2]。慎んでお悔やみを申し上げたい。

いくつか補足させていただくと、冠名とは、馬主が自分の所有馬を命名する際に挿入する短い単語であり、ラフィアンの所有馬であれば、1998年のスプリンターズステークスで、当時の短距離界の最強馬タイキシャトル/Taiki Shuttleを破ったマイネルラヴ/Meiner Love、2009年の天皇賞(春)を制したマイネルキッツ/Meiner Kitzなどが挙げられる。ちょうど名前が挙がったタイキシャトルも、馬主の大樹ファーム社の冠名「タイキ」が入っている。

ヘロド系の子孫では、シンボリ牧場の最高傑作シンボリルドルフ/Symboli Rudolfや、メジロ牧場の天皇賞馬メジロマックイーン/Mejiro McQueenらも、それぞれ「シンボリ」や「メジロ」の冠名を持っていた。競馬ファンや血統ファンからすると冠名の使用は好みが分かれるだろうが(冠名以外の名前の選択肢が狭まるため、他馬とダブりやすくなったり、オリジナリティが薄れたりする)、シンボリやメジロの一族であると一目で分かる点は大きなメリットだろう。

一方、一口馬主だが、馬主として競走馬を生産・所有し、しかるべき調教を施し、名だたるレースに挑戦し続けるというのは経済的によほど余裕がなければ難しい。そのため、日本中央競馬界(JRA)が主催するレースに所有馬を出走させたいと思っても、個人馬主の資格審査にはまず合格できない。しかしながら、数十~数百人が一頭の競走馬に出資する形を取れば、一人当たりの負担が劇的に小さくなるため、一般のサラリーマンでも未来ある若駒に夢を託すことができる。ラフィアンは、こうした人々を相手に自社の所有馬への出資を募り、大勢の一口馬主に大レース制覇の夢を共有する仕組みを提供しているのだ。

さて、大勢の会員を募る以上当然なのかも知れないが、ラフィアンは現役馬のみならず引退馬についてもできる限り情報を公開している [3]。となれば、ヘロド系の子孫を追いかける私としても、このデータベースを使わない手はない。ラフィアンの創立は1986年であるので、この年代以降に活躍したわが国のヘロド系種牡馬を父に持つマイネルもしくはマイネの子孫たちを調べればよいわけだ。すぐ候補に挙がるのは、シンボリルドルフ、メジロマックイーン、そしてトウカイテイオー/Tokai Teioである。

調べてみると、ラフィアンが所有したシンボリルドルフの産駒は1頭のみ。1993年まれのマイネルプリンス/Meiner Princeだった。この馬は、3戦目で未勝利戦を勝ち上がったのだが、着順掲示板以内に入ることも難しい惨敗が続き、8戦1勝の成績でターフを去った。

メジロマックイーンの産駒は4頭。ところが、そのうち2頭は未出走だった。最も活躍したのは2004年生まれのマイネルヘンリー/Meiner Henryであり、3戦目に未勝利を脱出すると、次戦の3歳重賞の京成杯(G3)で4着、次いで500万下のゆりかもめ賞で2勝目を挙げるなど才能を示し始めていた。ところが、この馬は故障に悩まされ、大成することなく10戦2勝の成績で引退となった。

最後の砦トウカイテイオーだが、実は13頭もの産駒が所属していた。中でも注目は2000年生まれのマイネルソロモンであり、デビュー以来3戦3勝、日本ダービー(G1)の前哨戦プリンシパルステークス(オープン)も制する好調さを示し、シンボリルドルフ以来父子3代で無敗のダービー馬誕生かと騒がれた有望株だった。ところが、6番人気で迎えた本番では、大舞台の雰囲気に呑まれまさかの18着しんがり負け。直線を向いてもまったく伸びず、優勝したネオユニヴァース/Neo Universeらの強烈な末脚をただ見送るしかなかった。

休み明けはマイル戦の富士ステークス(G3)となったが、ここでは3着に入賞して重賞制覇近しを改めて印象付ける。その後も、4歳春のダービー卿チャレンジトロフィー(G3)で2着、盛夏の関谷記念(G3)でも3着、京成杯オータムハンデキャップ(G3)で3着とマイル戦線で善戦を続け、スワンステークス(G2)では遂にアタマ差の2着と迫る。勝利に飢えるマイネルソロモンは、マイルチャンピオンシップ(G1)で後方一気、直線勝負を挑むも、短距離戦のトップホース・デュランダル/Durandalには歯が立たず、4着に敗れた。これで燃え尽きてしまったか、5歳春のダービー卿チャレンジトロフィー(G3)で5着と入賞した後は大敗を繰り返し、6歳のシーズンには去勢手術を受け、テイオーの後継者になる資格を完全に失ってしまった。

わが国でも最もドラマチックな優駿の一頭であるトウカイテイオーは長らく後継者の輩出に苦しんでいたが、マイネルソロモンにしばしその夢を預けることができたのは幸せだったかも知れない。むろん、一口馬主となった人々は、浮き沈みの激しいこの馬の成績に一喜一憂しながら熱い声援を送っていただろう。

マイネルソロモン 2000年(日)
27戦4勝 NSTオープン
トウカイテイオーシンボリルドルフ
トウカイナチュラル
タカイロドリゴロドリゴデトリアーノ
パラダ
父系に関する注釈
ⓒ 2021 The Eternal Herod

参考文献
[1] ダービーに勝つのが夢だった… 岡田繁幸さん突然の訃報 「マイネル軍団の総帥」は競馬ファンの総帥でもあった, 東京中日スポーツ, 2021年3月19日.
[2] “マイネル軍団総帥”岡田繁幸氏死去 コスモバルクなど発掘した“相馬眼の天才”, netkeiba.com, 2021年3月20日.
[3] https://www.ruffian.co.jp/top.php

私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
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