英国ダービーとともに振り返るヘロド系の栄枯盛衰

エプソムダービーの風景
目次

英国ダービーを制したヘロド系の勇者たち

前回投稿した「日本ダービーとヘロド系の物語」の記事が思いのほか好評だったので、本場のダービーステークス(英国ダービー)におけるヘロド系の活躍についても整理を試みた。

当サイトでしばしば取り上げているように、最近の学説では19世紀末の偉大な種牡馬セントサイモン/St. Simon(1881年)の子孫もヘロド系に属すると言われている。これは、セントサイモンの父ガロピン/Galopin(1872年)がヘロド系の子孫であるディライト/Delight(1863年)の息子だったのではないかとする説を根拠にしている [1]。

そこで、本稿では、ガロピンの子孫もすべてヘロド系に含まれるとして、英国ダービー馬の一覧表を作成した。なお、ヘロドの代表産駒フロリゼル/Florizel I(1768年)、ウッドペッカー/Woodpecker(1773年)、ハイフライヤー/Highflyer(1774年)の子孫はそれぞれ「フロリゼル系」、「ウッドペッカー系」、「ハイフライヤー系」と記載し、ジャスティス/Justice(1774年)やフォーティテュード/Fortitude(1777年)など、この三頭を経由しないヘロドの子孫は「その他ヘロド系」に分類した。また、ガロピンの子孫のうち、セントサイモンを経由する場合はすべて「セントサイモン系」に分類し、セントサイモンを経由しない直系子孫を「ガロピン系」と記載した。

開催優勝馬子系統親系統
第1回(1780年)DiomedFlorizel Iフロリゼル系
第7回(1786年)NobleHighflyerハイフライヤー系
第8回(1787年)Sir Peter TeazleHighflyerハイフライヤー系
第10回(1789年)SkyscraperHighflyerハイフライヤー系
第11回(1790年)RhadamanthusJusticeその他ヘロド系
第12回(1791年)EagerFlorizel Iフロリゼル系
第13回(1792年)John BullFortitudeその他ヘロド系
第15回(1794年)DaedalusJusticeその他ヘロド系
第18回(1797年)無名馬Fidgetフロリゼル系
第19回(1798年)Sir HarrySir Peter Teazleハイフライヤー系
第20回(1799年)ArchdukeSir Peter Teazleハイフライヤー系
第24回(1803年)DittoSir Peter Teazleハイフライヤー系
第27回(1806年)ParisSir Peter Teazleハイフライヤー系
第29回(1808年)PanSt. Georgeハイフライヤー系
第32回(1811年)PhantomWaltonウォルトン系ハイフライヤー系
第38回(1817年)AzorSelimウッドペッカー系
第43回(1822年)MosesSeymourハイフライヤー系
第45回(1824年)CedricPhantomウォルトン系ハイフライヤー系
第46回(1825年)MiddletonPhantomウォルトン系ハイフライヤー系
第48回(1827年)MamelukePartisanウォルトン系ハイフライヤー系
第57回(1836年)Bay MiddletonSultanサルタン系ウッドペッカー系
第58回(1837年)PhosphorusLamplighterカストレル系ウッドペッカー系
第63回(1842年)AttilaColwickハイフライヤー系
第67回(1846年)Pyrrhus the FirstEpirusサルタン系ウッドペッカー系
第70回(1849年)The Flying DutchmanBay Middletonサルタン系ウッドペッカー系
第75回(1854年)AndoverBay Middletonサルタン系ウッドペッカー系
第76回(1855年)Wild DayrellIonサーポール系ハイフライヤー系
第77回(1856年)EllingtonThe Flying Dutchmanサルタン系ウッドペッカー系
第81回(1860年)ThormanbyWindhoundカストレル系ウッドペッカー系
第83回(1862年)CaractacusKingstonウォルトン系ハイフライヤー系
第84回(1863年)MacaroniSweetmeatウォルトン系ハイフライヤー系
第92回(1871年)FavoniusParmesanウォルトン系ハイフライヤー系
第93回(1872年)CremorneParmesanウォルトン系ハイフライヤー系
第96回(1875年)GalopinEllingtonガロピン系
第97回(1876年)KisberBuccaneerサーポール系ハイフライヤー系
第100回(1879年)Sir BevysFavoniusウォルトン系ハイフライヤー系
第110回(1889年)DonovanGalopinガロピン系
第117回(1896年)PersimmonSt. Simonセントサイモン系
第121回(1900年)Diamond JubileeSt. Simonセントサイモン系
第122回(1901年)VolodyovskiFlorizel IIセントサイモン系
第123回(1902年)Ard PatrickSt. Florianセントサイモン系
第125回(1904年)St. AmantSt. Florianセントサイモン系
第134回(1913年)AboyeurDesmondセントサイモン系
第135回(1914年)Durbar IIRabelaisセントサイモン系
第159回(1938年)Bois RousselVatoutチョーサー系セントサイモン系
第169回(1948年)My LoveVatellorチョーサー系セントサイモン系
第171回(1950年)GalcadorDjebelトウルビヨン系ウッドペッカー系
第172回(1951年)Arctic PrincePrince Chevalierプリンスローズ系セントサイモン系
第173回(1952年)TulyarTehranボワルセル系セントサイモン系
第177回(1956年)LavandinVersoガロピン系
第187回(1966年)CharlottownCharlottesvilleプリンスローズ系セントサイモン系
第190回(1969年)BlakeneyHethersettトウルビヨン系ウッドペッカー系
第194回(1973年)MorstonRagusaリボー系セントサイモン系
第213回(1992年)Dr DeviousAhonooraトウルビヨン系ウッドペッカー系
ⓒ 2021 The Eternal Herod

栄えある第1回競走の優勝馬がフロリゼル系のダイオメド/Diomed(1777年)である点には嬉しさがこみ上げてくるが、18世紀から19世紀序盤にかけて圧倒的な強さを見せているのはやはりハイフライヤー系である。自身の戦績が16戦16勝、父ヘロドすら上回る13回のリーディングサイアー(首位種牡馬)に輝いたハイフライヤーと、同じくリーディングサイアーを10回獲得した息子サーピーターティーズル/Sir Peter Teazle(1784年)の勇名は伊達ではなく、この時代の主役と呼ぶべき輝きを放っている。

そのハイフライヤー系の勢いが減退した19世紀中盤には、サルタン/Sultan(1816年)を経由するウッドペッカーの子孫が躍動。この奮闘に応えるように、ハイフライヤー系も再び盛り返し、記念すべき第100回(1879年)の英国ダービーは、サーピーターティーズルの息子ウォルトン/Walton(1799年)の系譜に連なるサーベイズ/Sir Beys(1876年)が制している。ただし、ハイフライヤー系はこの栄光を最後に凋落し、2度とダービー馬が出ることはなかった。

ここで、もしガロピンとセントサイモンの子孫がヘロド系ではなかったとしたら、英国ダービーにおけるヘロド系の活躍は実質的にここで終わっている。何しろ、サーベイズ以降に141回開催された英国ダービーにおいて見事勝利を飾ったヘロド系の子孫は、たったの3頭(!)しかいないのだから。

さて、少し時計を戻して、1875年の第96回英国ダービーに勝利した馬が件のガロピンである。当サイトでは、ガロピンがディライトの子孫であるという説を支持しているが、この学説はまだ全面的に受け入れられているわけではない点にはご注意願いたい。ディライトは第77回(1856年)の英国ダービー馬エリントン/Ellington(1853年)の息子であり、エリントンはサルタンを経由するウッドペッカーの子孫であるから、もしこの学説が正しければ、ガロピンの子孫はすべてウッドペッカー系ということになる。

さて、ガロピンとその息子セントサイモンは競馬史において偉大な影響力を発揮しており、ハイフライヤー系が去った後のヘロド系を支え続けた。全体では現代競馬の主流血統であるエクリプス系に圧されているが、節目節目では立て続けにダービー馬を送り出し、この系統の強さを印象付けている。しかしながら、その活躍も1970年代までで、セントサイモン系は第194回(1973年)のモーストン/Morston(1970年)を最後に、ウッドペッカー系も第213回(1992年)のドクターデヴィアス/Dr Devious(1989年)を最後のダービー馬として、以後はまったく存在感を示せなくなってしまった。

ヘロド系による英国ダービーの支配率

前項のように年表を追うだけでも楽しめるのだが、その他の系統に対するヘロド系の強さを客観視するためにもう一工夫してみたい。下表は、1780年から2020年までに開催された英国ダービーを6つの時期に分け、各時期におけるヘロド系の優勝回数と勝率を書き出したものである。例によってガロピンの子孫の分も含んでいるので、これを除外した数字も括弧内に記載している。

時期開催回数ヘロド系優勝回数ヘロド系勝率代表馬
1780年~1800年21回11回52%Sir Peter Teazle
1801年~1850年50回14回28%Bay Middleton
1851年~1900年50回14回(10回)28%(20%)Diamond Jubilee
(Kisber)
1901年~1950年50回8回(1回)16%(2%)Bois Roussel
(Galcador)
1951年~2000年50回7回(2回)14%(4%)Tulyar
(Dr Devious)
2001年~20回0回0%
括弧内はガロピンの子孫を除いた数字
ⓒ 2021 The Eternal Herod

このように整理すれば、20世紀にはヘロド系全体がはっきりと弱体化している様子が理解できるだろう。18世紀はまさに黄金期で、サーピーターティーズルのような名馬が、エクリプス系や当時はまだ生き残っていたオルコックアラビアン系の強豪を打ち負かしていた。19世紀以降はエクリプス系が主役になるが、サルタン系のベイミドルトン/Bay Middleton(1833年)などの名馬が登場し、これに対抗できるだけの勢力を長期間にわたり保持していた。

19世紀末のイチオシはハンガリー出身の名馬キシュベル/Kisber(1873年)。第97回(1876年)の英国ダービーを制しただけでなく、英愛およびドイツでリーディングサイアーになったハイフライヤー系の名種牡馬バッカーニア/Buccaneer(1857年)の偉業を継いで、ドイツで3度のリーディングサイアーになる活躍を見せた。

同じく19世紀末で見逃せない名馬は、セントサイモンの直仔ダイヤモンドジュビリー/Diamond Jubilee(1897年)である。この馬は、現役時代にクラシック競走に出走できなかった父の無念を晴らすかのように爆走し、史上9頭目となる英国クラシック三冠馬となったのだ。

20世紀には、いわゆるセントサイモンの悲劇によって、急拡大したセントサイモン系の勢力が一気に衰退。ボワルセル/Bois Roussel(1935年)が第159回(1938年)英国ダービーを勝つまで実に24年も勝利から遠ざかってしまった。この系統の最後の名馬はボワルセルの孫タルヤー/Tulyar(1949年)で、英国ダービーや英国セントレジャーステークスを含む格式高いレースを連戦連勝。当時の最高獲得賞金額の記録を塗り替えるほどの大活躍だった。タルヤーは種牡馬としても成功する可能性があったが、欧州から米国に渡った後は環境が合わなかったのか、期待外れの成績に終わった。

現代のヘロド系は、エクリプス系はおろか、三大始祖の中では常に弱小勢力だったマッチェム系と比べても劣勢に立たされている。全体的に見れば、主要国の大レースで活躍する馬はほとんどなく、ニッチな短距離路線や障害競走に活路を求めている状況である。

参考文献

[1] S. Felkel et al., The horse Y chromosome as an informative marker for tracing sire lines, Sci. Rep., 2019, 9:6095, 1-12.

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