最古の英国クラシックレース
英国クラシック三冠の最終戦であるセントレジャーステークスは、英国で最も長い歴史を持つ3歳馬の長距離レースであり、かつてはダービーステークス(英国ダービー)をも凌ぐ権威と人気を誇っていた。春先~初夏に開催される2000ギニー(約1,600メートル)、英国ダービー(約2,400メートル)に続き、秋口のドンカスター競馬場で開催されるセントレジャーは約2,900メートルとさらに距離が延び、三冠を制するにはこの長距離を克服するスタミナが求められる。
ここで、わが国のクラシック三冠、皐月賞(1,600メートル)、日本ダービー(2,400メートル)、菊花賞(3,200メートル)が思い浮かぶが、英国のそれと瓜二つなのは当然である。かつてわが国には、競馬先進国の英国を模倣して三冠レースを創設した経緯があるからだ。
本題に戻ろう。歴代の英国三冠馬の顔ぶれを見れば、マッチェム系の英雄ウェストオーストラリアン/West Australianや、19世紀の最強馬とも称されるグラディアトゥール/Gladiateurを始め、スピード・スタミナを兼ね備えたがズラリと並んでいる。2020年現在、最後に三冠を制した馬はニジンスキー/Nijinskyで、こちらも偉大なる父ノーザンダンサー/Northern Dancerの最高傑作とも呼び声高い名馬である。
ところが、最近は過酷な長距離を嫌ったり、凱旋門賞などの人気レースへの挑戦を優先したりするケースが増え、セントレジャーステークスの地位は相対的に低下している。最後の三冠馬ニジンスキーが凱旋門賞で不覚を取った時、セントレジャーでの消耗が原因だったなどと宣伝されたことも、このレースを軽視する傾向に一役買っているようだ。
元来、ヘロド系(特にハイフライヤー系)や、実はヘロド系に属するのではないかと指摘されるセントサイモン系には、長距離レースに強いスタミナ型の名馬が揃っていた。ヘロド系の英国ダービー馬を紹介した前回に続き、本稿ではセントレジャーステークスを取り上げてみたい。
英セントレジャーを制したヘロド系の名馬たち
系統の分類については前回同様だが、誤解を避けるためにあえて繰り返させていただく。まず、ヘロド系は、ヘロドの優秀な三頭の息子を祖とする系統に分け、それぞれ「フロリゼル系」、「ウッドペッカー系」、「ハイフライヤー系」と記載した。この三系統に属さないヘロド/Herodの直仔やヘロド系の子孫は、便宜上「その他ヘロド系」と分類している。
また、最近の学説では、セントサイモン/St. Simonの父ガロピン/Galopinは、ウッドペッカー系の子孫ディライト/Delightの息子である可能性があるという[1]。そこで、ガロピンとセントサイモンの子孫も本稿に取り上げるが、従来のヘロド系と区別するため、セントサイモンの子孫は「セントサイモン系」、セントサイモンを経由しないガロピンの子孫は「ガロピン系」と記載している。
開催 | 優勝馬 | 父 | 子系統 | 親系統 |
---|---|---|---|---|
第8回(1783年) | Phænomenon | Herod | - | ヘロド系 |
第9回(1784年) | Omphale | Highflyer | - | ハイフライヤー系 |
第10回(1785年) | Cowslip | Highflyer | - | ハイフライヤー系 |
第12回(1787年) | Spadille | Highflyer | - | ハイフライヤー系 |
第13回(1788年) | Young Flora | Highflyer | - | ハイフライヤー系 |
第15回(1790年) | Ambidexter | Phænomenon | - | その他ヘロド系 |
第17回(1792年) | Tartar | Florizel I | - | フロリゼル系 |
第18回(1793年) | Ninety Three | Florizel I | - | フロリゼル系 |
第21回(1796年) | Ambrosio | Sir Peter Teazle | - | ハイフライヤー系 |
第22回(1797年) | Lounger | Drone | - | その他ヘロド系 |
第23回(1798年) | Symmetry | Delpini | - | ハイフライヤー系 |
第26回(1801年) | Quiz | Buzzard | - | ウッドペッカー系 |
第31回(1806年) | Fyldener | Sir Peter Teazle | - | ハイフライヤー系 |
第32回(1807年) | Paulina | Sir Peter Teazle | - | ハイフライヤー系 |
第33回(1808年) | Petronius | Sir Peter Teazle | - | ハイフライヤー系 |
第34回(1809年) | Ashton | Walnut | - | ハイフライヤー系 |
第35回(1810年) | Octavian | Stripling | - | その他ヘロド系 |
第40回(1815年) | Filho da Puta | Haphazard | - | ハイフライヤー系 |
第41回(1816年) | The Duchess | Cardinal York | - | ハイフライヤー系 |
第44回(1819年) | Antonio | Octavian | - | その他ヘロド系 |
第45回(1820年) | St. Patrick | Walton | ウォルトン系 | ハイフライヤー系 |
第55回(1830年) | Birmingham | Filho da Puta | - | ハイフライヤー系 |
第61回(1836年) | Elis | Langar | - | ウッドペッカー系 |
第66回(1841年) | Satirist | Pantaloon | カストレル系 | ウッドペッカー系 |
第67回(1842年) | Blue Bonnet | Hedgford | - | ハイフライヤー系 |
第74回(1849年) | The Flying Dutchman | Bay Middleton | サルタン系 | ウッドペッカー系 |
第93回(1868年) | Formosa | Buccaneer | サーポール系 | ハイフライヤー系 |
第107回(1882年) | Dutch Oven | Dutch Skater | サルタン系 | ウッドペッカー系 |
第108回(1883年) | Ossian | Salvator | サルタン系 | ウッドペッカー系 |
第114回(1889年) | Donovan | Galopin | - | ガロピン系 |
第115回(1890年) | Memoir | St. Simon | - | セントサイモン系 |
第117回(1892年) | La Flèche | St. Simon | - | セントサイモン系 |
第121回(1896年) | Persimmon | St. Simon | - | セントサイモン系 |
第125回(1900年) | Diamond Jubilee | St. Simon | - | セントサイモン系 |
第126回(1901年) | Doricles | Florizel II | - | セントサイモン系 |
第127回(1902年) | Sceptre | Persimmon | パーシモン系 | セントサイモン系 |
第130回(1905年) | Challacombe | St. Serf | - | セントサイモン系 |
第133回(1908年) | Your Majesty | Persimmon | パーシモン系 | セントサイモン系 |
第136回(1911年) | Prince Palatine | Persimmon | パーシモン系 | セントサイモン系 |
第145回(1920年) | Caligula | The Tetrarch | ザテトラーク系 | ウッドペッカー系 |
第146回(1921年) | Polemarch | The Tetrarch | ザテトラーク系 | ウッドペッカー系 |
第149回(1924年) | Salmon-Trout | The Tetrarch | ザテトラーク系 | ウッドペッカー系 |
第167回(1943年) | Herringbone | King Salmon | ザテトラーク系 | ウッドペッカー系 |
第168回(1944年) | Tehran | Bois Roussel | ボワルセル系 | セントサイモン系 |
第173回(1949年) | Ridge Wood | Bois Roussel | ボワルセル系 | セントサイモン系 |
第176回(1952年) | Tulyar | Tehran | ボワルセル系 | セントサイモン系 |
第186回(1962年) | Hethersett | Hugh Lupus | トウルビヨン系 | ウッドペッカー系 |
第187回(1963年) | Ragusa | Ribot | リボー系 | セントサイモン系 |
第191回(1967年) | Ribocco | Ribot | リボー系 | セントサイモン系 |
第192回(1968年) | Ribero | Ribot | リボー系 | セントサイモン系 |
第195回(1971年) | Athens Wood | Celtic Ash | プリンスローズ系 | セントサイモン系 |
第196回(1972年) | Boucher | Ribot | リボー系 | セントサイモン系 |
第202回(1978年) | Julio Mariner | Blakeney | トウルビヨン系 | ウッドペッカー系 |
第203回(1979年) | Son of Love | Jefferson | プリンスローズ系 | セントサイモン系 |
第208回(1984年) | Commanche Run | Run the Gantlet | リボー系 | セントサイモン系 |
第210回(1986年) | Moon Madness | Vitiges | プリンスローズ系 | セントサイモン系 |
第220回(1996年) | Shantou | Alleged | リボー系 | セントサイモン系 |
ⓒ 2021 The Eternal Herod |
第1回セントレジャーステークスの優勝馬は、アラバキュリア/Allabaculiaという牝馬だったらしい。サラブレッド三大始祖の一角ダーレーアラビアン/Darley Arabianの玄孫とされているが、現代の主流血統の祖エクリプス/Eclipseとは別のフライングチルダーズ系に属するとされているので、サラブレッドの世界では直系子孫が断絶した血統である。
ヘロド系初の優勝馬は、第8回競走を制したフェノメノン/Phænomenon(1780年)である [2]。ヘロドの直仔だが、セントレジャーを勝ったこと以外の記録が見つからず、素性は良く分からない。実子のアンビデクスター/Ambidexter(1787年)が第15回セントレジャーステークスを勝って父子二代制覇を成し遂げたが、その後この系統が発展することはなかった。
第9回競走以降は、ハイフライヤー系の牝馬の活躍が続く。先述の通り、第1回の優勝馬アラバキュリアも牝馬だったが、セントレジャーステークスは伝統的に牝馬の活躍が目立つ。事実、ハイフライヤー系は、第9回競走の優勝馬オムパレー/Omphale(1781年)以降、7頭もの牝馬がセントレジャーに勝っている。ハイフライヤー系最後の優勝馬も牝馬であり、名種牡馬バッカーニア/Buccaneer(1857年)の娘フォルモサ/Formosa(1865年)が第93回競走を、なんと英国史上初の牝馬三冠という偉業とともに制覇した。これらの名牝が獲得した数多くの栄冠もハイフライヤー系が伝える素晴らしいスタミナの賜物だが、もし活躍馬が牡馬に偏っていたら、この系統もより長く生き残っていたかも知れない。
ハイフライヤー系が退潮になるとウッドペッカー系とセントサイモン系の時代が始まるのは英国ダービーの場合と同様だが、スタミナに優れたセントサイモン系はより近代まで優勝馬を出し続けている。19世紀末から20世紀初頭が最初の絶頂期で、ガロピン、セントサイモン父子の血を引く名馬が続々と登場。自らも第121回競走を制したパーシモン/Persimmon(1893年)は、父セントサイモンの4頭に迫る3頭ものセントレジャーステークス優勝馬を出し、セントサイモン系の強さを見せつけた。
この後、いわゆるセントサイモンの悲劇によって衰退するが、救世主ボワルセル/Bois Roussel(1935年)、16戦無敗の最強馬リボー/Ribot(1952年)の登場により威勢を取り戻す。特にリボーは、1960年代から70年代にかけて4頭ものセントレジャー優勝馬を送り出す大活躍で、エクリプス系の支配に猛然と立ち向かっていた。セントサイモン系最後の優勝馬は第220回競走を制したリボーの孫シャントゥ/Shantou(1993年)。父アレッジド/Alleged(1974年)が唯一不覚を取ったセントレジャーで見事雪辱を果たしてみせた。
本家ウッドペッカー系の活躍も見逃してはなるまい。19世紀には英国ダービーとセントレジャーの二冠を制した名馬ザフライングダッチマン/The Flying Dutchman(1846年)が躍動したが、セントサイモン系の隆盛期にはまるで大人しくなってしまう。しかし、1920年代にはまだら模様の超特急ザテトラーク/The Tetrarchが、マイル戦の2000ギニーと長距離のセントレジャーの双方で活躍する産駒を続々と送り出す異能を示し、最後はヘロド系最後の大物トウルビヨン/Tourbillon(1928年)の末裔が少ないながらも勝利を収めていた。
ヘロド系によるセントレジャーステークスの支配率
例によって、ヘロド系とガロピン・セントサイモン系による時代ごとのセントレジャーステークスの勝率を見て行こう。
時期 | 開催回数 | ヘロド系優勝回数 | ヘロド系勝率 | 代表馬 |
---|---|---|---|---|
1776年~1800年 | 25回 | 11回 | 44% | Ambrosio |
1801年~1850年 | 50回 | 15回 | 30% | The Flying Dutchman |
1851年~1900年 | 50回 | 8回(3回) | 16%(6%) | Persimmon (Formosa) |
1901年~1950年 | 50回 | 11回(4回) | 22%(8%) | Tehran (Herringbone) |
1951年~2000年 | 50回 | 12回(2回) | 24%(4%) | Tulyar (Hethersett) |
2001年~ | 20回 | 0回 | 0% | - |
括弧内はガロピンの子孫を除いた数字 ⓒ 2021 The Eternal Herod |
ハイフライヤー系凋落後、セントサイモン系の登場までの間を支える系統がなかったため、英国ダービーに比べて19世紀後半に大きく失速している様子が分かるだろうか。しかしながら、スタミナに優れたセントサイモン系の名馬が20世紀を支え続けたため、英国ダービーよりも息長くこの系統の存在感を示すことに成功している。
次回は英2000ギニーを取り上げるが、特に20世紀後半の状況がセントレジャーとは一変するのが興味深い。こちらも楽しみに待っていていただければ幸いである。
参考文献
[1] S. Felkel et al., The horse Y chromosome as an informative marker for tracing sire lines, Sci. Rep., 2019, 9:6095, 1-12.
[2] K. M. Haralambos, “The Herod Dynasty” In The Byerley Turk: three centuries of the tail mail racing lines, Threshold Books, 1990.