この本を手にしたとき、これを持っている日本人は自分だけではないかというささやかな満足感を憶えたのだが、長年の血統ファンの方々の知識は私など及びもつかぬほどに深い。ましてや、「マッチェムの系譜の物語」というド直球な副題を持つこの古書なら、必ずや手元に置かれている方がいるだろう。
本書のタイトルであるゴドルフィンアラビアン/ Godolphin Arabianは、むろんサラブレッド三大始祖の一頭に数えられる歴史的な馬であり、かつてはバイアリーターク/Byerley Turkやダーレーアラビアン/Darley Arabianらの子孫よりも勢力を誇っていた時代がある。事実、1724年に生まれたゴドルフィンアラビアンは、ケード/Cade(1734年)、レギュラス/Regulus(1739年)、ブランク/Blank(1740年)ら優秀な息子たちとともに、1740年代後半から1760年代前半までの期間、英愛リーディングサイアーの地位を支配していた。その後、レギュラスやブランクの系統は衰退していくのだが、ケードの息子マッチェム/Matchem(1748年)が大成し、ゴドルフィンアラビアンの血を21世紀の現代にまで伝えることに成功している。
本書の著者サー・モルダント・ミルナーは、ゴドルフィンアラビアンとマッチェムの子孫たちの系譜を以下の8章にまとめた。
- The Godolphin Arabian, The Matchem Line
- Sorcerer
- Melbourne and West Australian
- Across the Atlantic
- Solon
- Over the Sticks
- Hurry On
- ‘He Wuz de Mostest Horse’
第1章はまさしくゴドルフィンアラビアンとマッチェムの近親に関する物語であり、この系統の血を残すことに成功したマッチェムの功績が、ゴドルフィンアラビアン系=マッチェム系と呼ばれる所以になったことを記述している。
第2章に登場するソーサラー/Sorcerer(1796年)は、マッチェムの曽孫。バイアリータークの子孫ヘロド/Herod-ハイフライヤー/Highflyer-サーピーターティーズル/Sir Peter Teazleら父子三代の支配が終わった後に登場した英愛リーディングサイアーであり、息子のコマス/Comus(1809年)を通じて子孫を広げていった。
第3章はいよいよ史上初の英国三冠馬ウェストオーストラリアン/West Australian(1850年)が登場。種牡馬としては失敗だったとはっきり書かれてしまっているが、第4章で米国に渡った息子のオーストラリアン/Australian(1858年)が基礎を築き、米国の偉大な名馬マンノウォー/Man o’ War(1917年)へと繋がっていく様子を追いかけるのは胸が躍る。
ただし、マッチェム系は創成期から現代に至るまでヘロドやエクリプス/Eclipseの子孫に対しては常に劣勢であり、サー・モルダント・ミルナーも名馬たちの成功だけでなく、クルセイダー/Crusader(1923年)などの有力馬が種牡馬としては失敗だったということにしばしば言及しないわけにはいかなかった。とりわけ、著者はマンノウォーが去った後にジリ貧になっていくマッチェム系の行く末を憂いている。とはいえ、本書は1990年の出版物なので、2000年代にブリーダーズカップ・クラシック(米G1)を史上初めて連覇し、種牡馬としてもマッチェム系の勢力を盛り返したティズナウ/Tiznow(1997年)の活躍を見れば、その書きぶりもより希望の見える形になっていたかも知れない。
ただし、ティズナウの活躍もむなしく、マッチェム系はヘロド系と同様にエクリプス系に圧倒され、世界的に衰退している。滅びゆく血統を追いかける私としては、マッチェム系の生き様にも惹かれるが、現状ではヘロド系とセントサイモン系の物語をまとめるだけで手一杯である。もし、本書を読むような心ある方がマッチェム系の興亡を整理し、ウェブサイトに公開していただけたら、喜んで拝見したいと思う次第である。