<6>夢幻:プリンスローズの末裔たち(中編)

前回の記事にプリンスローズ系の大きな支流プリンスキロ/Princequillo(1940年)の系統をまとめたが、本稿では第二の支流プリンスビオ/Prince Bio(1941年)の系統を紹介する。

プリンスビオ系サイアーライン
プリンスビオ系サイアーライン

プリンスビオは、ベルギー史上最高の馬と呼び声高いセントサイモン系の父プリンスローズ/Prince Roseと、無敵の短距離馬ザテトラーク/The Tetrarchを曾祖父に持つヘロド/Herod系の母バイオロジー/Biologieよりフランスで生まれた。ザテトラークは、トウルビヨン/Tourbillonを経由しないウッドペッカー/Woodpecker系の麒麟児だが、残念ながら現代ではこのサイアーラインは滅亡している。

さて、プリンスビオが生まれたのはまさしく第二次世界大戦の真っただ中。1歳年上のプリンスキロは戦火を避けて米国に逃れたが、プリンスビオはドイツに占領された祖国フランスに留まった。戦時下の混乱もあり、プリンスビオの詳しい競走成績は調べられなかったが、大戦末期の1944年にプール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー)を制覇し、翌年には重賞4勝の成績を手土産に種牡馬入りしたと伝わる。

プリンスビオの名声を高めたのは初期の産駒シカンブル/Sicambre(1948年)であり、3歳シーズンまで走り9戦8勝2着1回。連対率100%の素晴らしい成績でありながら、フランスの2歳馬最強決定戦グランクリテリウム、3歳馬の最高峰ジョッケクルブ賞(仏ダービー)、伝統の大レース・パリ大賞典を制するなど世代最強の能力をまざまざと見せつけた。故障のため凱旋門賞には臨めず引退するが、繁殖入りする名馬シカンブルには大きな期待が寄せられたことは疑いない。

種牡馬として故郷に戻ったシカンブルは、初年度産駒からいきなり英オークス馬シカレル/Sicarelle(1953年)を出して実力を証明すると、毎年のようにクラシックホースや重賞馬を輩出。特に、モルニ賞など仏重賞2勝のファラモンド/Pharamond(1957年)、同じく仏重賞2勝のムーテイエ/Moutiers(1958年)、同期のバケモノどもには劣るとも米ワシントンDC国際で勲章を手にするダイアトム/Diatome(1962年)などはわが国に輸入され、本邦競走馬の能力向上に貢献した。たとえば、ファラモンドの系統は、1975年の皐月賞と日本ダービーの二冠を制したカブラヤオー/Kaburayao(1972年)を出し、そのカブラヤオーがエリザベス女王杯(G1)の優勝馬ミヤマポピー/Miyama Poppyを出すなどの活躍を見せている。

残念ながらわが国のプリンスビオ系は先細りしていくが、シカンブルの直仔で仏重賞2勝、英国ダービーでも3着に入ったシャンタン/Shantungの末裔がブラジルに渡り、近年でも現地のG1レースを制する産駒が出るなど活躍していた。特に有名なのはサイフォン/ Siphon(1991年)であり、祖国ブラジルでジュリアーノ・マルティンス大賞(伯G1)を含む重賞3連勝を決めた後、アルゼンチン、次いで米国に渡った。1995年のスポートページハンデキャップ(米G3、経済不況のため2009年以降は未開催)を勝って米国でも通用する地力の高さを見せつけると、5歳シーズンではさらに良化し、一般競走から3連勝でハリウッドゴールドカップ(米G1)に臨んだ。このとき、サイフォンは距離が不安視されて人気薄だったのだが、そんなことはお構いなしに終始レースをリードし、ジェリ/Geri以下を1馬身引き離して優勝した [1]。その後、サイフォンはサンタアニタハンデキャップ(米G1)で更なる勲章を獲得すると、ドバイワールドカップ(首G1)にも出走し、シングスピール/Singspielの2着に入るなどかなりの成績を残した [2]。

サイフォン 1991年(伯)
25戦12勝 ハリウッドゴールドカップ(米G1)
イタヤラフェリシオ
アップルハニー
エブレアクビライカーン
リセラ
父系に関する注釈
ⓒ 2021 The Eternal Herod

これらの実績を胸に堂々と種牡馬入りしたサイフォンだったが、初年度産駒からいきなり強豪が登場している。その馬サイフォニック/Siphonic(1999年)は、2戦目でブリーダーズフューチュリティステークス(米G2)を制して早々と重賞勝ちを決めた後、ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル(米G1)を落として臨んだハリウッドフューチュリティ(米G1)でG1馬の仲間入りをし、父の門出を祝福した [3]。この勝利で米国クラシック戦線の有力候補となったサイフォニックだったが、ケンタッキーダービー(G1)への前哨戦に挑んでいる間に右足首を負傷し、クラシックシーズンを棒に振った [4]。

好調だったサイフォニックと父サイフォンの運命は、この時を境に狂い始めた。10月のサンタアニア競馬場で復帰したサイフォニックだったが、リゾルブ/Resolveにアタマ差の2着でゴールした後、心臓発作を起こして死去してしまった [5]。サイフォンにとっても、自らの跡を継ぐはずだったサイフォニックの夭逝は大打撃だった。その後も活躍馬を送り出していたサイフォンだったが、フランク・J・ドフランシス記念ダッシュステークス(米G1、現在はG3)を勝ったアイムザタイガー/I’m the Tiger(2000年)もブルックリンハンデキャップ(米G2)を勝ったデロスヴィエントス/Delosvientos(2003年)もセン馬のため跡を継げず、その他の重賞馬も後継者になることができなかった。結局、サイフォン自身も2010年にブラジルへの売却話が浮上しているとの報道を最後に消息が分からなくなっている [6]。

サイフォンの後継者が育たなかったプリンスビオ系は、世界中で消滅に向かっている。サイフォンを産んだブラジルにはまだプリンスビオの末裔がいるとされるが、強大なライバルたちを相手にどこまで戦い続けることができるだろうか。

参考文献
[1] Siphon wins 4th straight in Gold Cup, The New York Times, July 1, 1996.
[2] B. Christine, Siphon may be forgotten, but he’s certainly not gone, Los Angeles Times, October 17, 1997.
[3] Siphonic hands officer another defeat, The Associated Press, December 15, 2001.
[4] Siphonic won’t run in Ken. Derby, The Associated Press, March 23, 2002.
[5] Siphonic dies minutes after second-place finish, The Associated Press, October 3, 2002.
[6] Siphon Sold to Brazil, BloodHorse, April 7, 2010.

私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
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