<6>夢幻:プリンスローズの末裔たち(後編)

雨に濡れる落ち葉

それでは、いよいよプリンスローズ系の最後の支流プリンスシュヴァリエ/Prince Chevalier(1943年)の系譜を紹介したい。なお、プリンスキロ/Princequillo(1940年)とプリンスビオ/Prince Bio(1941年)の系統については、それぞれ以下の記事を参照されたい。

プリンスシュヴァリエ系サイアーライン
プリンスシュヴァリエ系サイアーライン

ご存知かもしれないが、シュヴァリエとはフランス語で「騎士」を意味する言葉であり、この馬は名前が抜群に格好いい。プリンスシュヴァリエは、言わずと知れた大種牡馬プリンスローズ/Prince Rose(1928年)の最晩年の産駒にあたる。プリンスローズは、1944年に第二次世界大戦の戦火に巻き込まれて死去してしまうので [1]、父はこの素晴らしい息子の活躍を見ることができなかった。

詳細な競走成績が見当たらないのだが、プリンスシュヴァリエは14戦して7勝、3歳シーズンの1946年、ジョッケクルブ賞(仏ダービー)の前哨戦にあたるリュパン賞、グレフュール賞、ノアイユ賞を制したのを皮切りに、本番でも勝利を収めた [2]。このほか、フランスの大レース凱旋門賞やパリ大賞典でも2着に入ったとされているので、この時代を代表する強豪だったことは疑いない。

種牡馬入りしたプリンスシュヴァリエは、アイルランド産のアークティックプリンス/Arctic Prince(1948年)が1951年の英国ダービーを制し、最高のスタートを決めた。その後もコーンウォリスステークス(英)など重賞2勝のプリンスカナリナ/Prince Canarina(1950年)、1954年のグランクリテリウム(仏)を勝ったボウプリンス/Beau Prince(1952年)、ジョッキークラブステークス(英)など重賞2勝のコートハーウェル/Court Harwell(1954年)、1960年のジョッケクルブ賞およびパリ大賞典を制したシャーロッツヴィル/Charlottesville(1957年)など立て続けに活躍馬を送り出した。また、ここに列記した産駒はすべて種牡馬としても成功しており、たとえばコートハーウェルは1965年の、シャーロッツヴィルは1966年の英愛リーディングサイアーに輝いている。

このほかにも、1964年の凱旋門賞を制し、当時の欧州で最高レベルの評価を受けていたソルティコフ/Soltikoff(1959年)もプリンスシュヴァリエの直仔だが、残念ながらこの馬は調教中の事故のため死去した [3]。

さて、プリンスシュヴァリエのサイアーラインを後世に残したという意味で重要な直仔はアークティックプリンスとシャーロッツヴィルの2頭のダービー馬だった。アークティックプリンスは、当初は英国で種牡馬入りしたが、数年後に米国に売却された。だが、結局成功したのは欧州に残した息子たちで、エクリプスステークスの優勝馬アークティックエクスプローラー/Arctic Explorer(1954年)は豪州に輸出されたのち、現地で重賞馬を出すなど成功した。図に示したスノーキャット/Snow Cat(1955年)は、種牡馬入り後にアルゼンチンに輸出されるが、現地でスノークライ/Snow Cry(1962年)、スノークレスト/Snow Crest(1964年)、スノーフェスティバル/Snow Festival(1966年)、スノーサター/Snow Satyr(1973年)ら数多くの後継種牡馬を出して成功した。ところが、曽孫世代以降は有力な種牡馬が現れず、現在ではほとんどの勢力が失われてしまった。

もう一つの有力なサイアーラインを形成したシャーロッツヴィルは、最高傑作シャーロッタウン/Charlottown(1963年)が英国ダービーを制覇。シャーロッタウンは、セントレジャーステークス(英)では2着に終わったものの、古馬戦線でもコロネーションカップ(英)を制するなど活躍した。このほかにも、シャーロッツヴィルの子孫には、バーデン大賞(独)やミラノ大賞典(伊)を勝ったストラトフォード/Stratford(1964年)、伊ダービーの勝者ボンコンテディモンテフェルトロ/Bonconte di Montefeltro(1966年)など、数多くの重賞馬が含まれている。

シャーロッツヴィルの子孫はわが国にも登場しているが、その中でも持込馬のメジロサンマン/Mejiro Samman(1963年)が有名である。持込馬とは、母馬が子供を宿した状態で輸入され、日本で生まれた仔馬を意味し、かつてわが国では内国産馬を保護するために海外から持ち込まれる馬の大レースへの出走を制限していた時代がある。とはいえ、メジロサンマンは規制のない時代に持ち込まれた馬なので、日本ダービーにも挑戦している(結果は落馬失格)。メジロサンマンは、当時は春秋の2回開催だった目黒記念(秋)を勝ち、オープン競走で活躍して29戦10勝。後継者のメジロイーグル/Mejiro Eagle(1975年)も重賞止まりだったが、3代目のメジロパーマー/Mejiro Palmer(1987年)が宝塚記念(G1)と有馬記念(G1)を制して悲願のグランプリ制覇を達成した。しかし、その後は有力な後継馬が出現することはなかった。

21世紀の現代、わが国でメジロの父系が断絶したことと同様に、海外の主要国でも有力な後継種牡馬が育たず、プリンスシュヴァリエ系の血筋はほとんど失われている。結局、大種牡馬プリンスローズ/Prince Roseと、その偉大なる祖先セントサイモン/St. Simonの系統を繋ぐ重責は、ほぼプリンスキロの系統に委ねられることになった。

参考文献
[1] Prince Rose, Thoroughbreds don’t cry, November 15, 2014.
[2] ” Prince Chevalier ” gagne de justesse le prix du Jockey-Club, Le Monde, June 18, 1946.
[3] $1 Million Horse Breaks Leg And Is Destroyed in France, The New York Times, My 24, 1964.

私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
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