<6>夢幻:プリンスローズの末裔たち(前編)

夕暮れの競馬場を疾走する競走馬たち

19世紀末の名馬セントサイモン/St. Simonがヘロド/Herodの子孫であるか否かという謎の答えはまだ決着がついていない。しかし、もしそれが真実であれば、ゆっくりと滅びゆくだけだったヘロド系にも復興のチャンスが訪れるかも知れない。

前回の記事にセントサイモン系の大まかな隆盛をまとめたが、現在にも子孫が残るプリンスローズ系とリボー系については詳しく記載しなかった。そこで、これから数回にわたり、これら二系統の発展と奮闘の歴史をまとめていきたい。とはいえ、プリンスローズ系はかなりすそ野が広いので、今回はプリンスキロ/Princequillo(1940年)の系統を紹介したい。

プリンスキロ系サイアーライン
プリンスキロ系サイアーライン

まずプリンスローズ系の全体像だが、セントサイモン系初の英国ダービー馬パーシモン/Persimmon(1893年)の流れを汲み、パーシモンの曽孫プリンスローズ/Prince Rose(1928年)を起点としている。プリンスローズは英国生まれだが、現役時代は競馬小国ベルギーを主戦場とした。父ローズプリンス/Rose Princeの語順を入れ替えただけの単純なネームとは裏腹に、本馬はベルギー史上最強の呼び声も高い強豪だった。3歳シーズンまでにベルギー国内の大レースを制覇し、オステンド国際大賞ではベルギー代表としてパールキャップ/Pearl Capら強力な海外勢を撃破した。パールキャップは、この時既にフランス1000ギニー、フランスオークス、ジャック・ル・マロワ賞など名だたるレースを制していた名牝であり、この勝利は一地方の雄にすぎなかったプリンスローズにとって大きな勲章となった。なお、よもやの敗戦を喫したパールキャップだが、地元フランスで開催された凱旋門賞ではプリンスローズを3着に下して雪辱を果たし、世代最強を証明して引退の花道を飾った。

プリンスローズは、パールキャップらとの激闘の後も現役を続けたが、オステンド国際大賞の連覇を含む好成績を収めた後、4歳シーズン限りで引退し、ベルギーで種牡馬になった。ベルギーでの成績ははっきりしないが、1938年にフランスに移動した後は、本稿で詳述するプリンスキロ、それからプリンスビオ/Prince Bio(1941年)とプリンスシュヴァリエ/Prince Chevalier(1943年)ら優秀な息子たちを立て続けに輩出した。ただし、時は第二次世界大戦の最中であり、1944年、プリンスローズも銃弾に斃れ、非業の死を遂げたという [1]。

しかし、その後の息子たちの活躍ぶりを知れば、プリンスローズにあとほんの少しの天運があればと思わずにはいられない。戦火を避けて米国に逃れたプリンスキロは、長距離戦線で活躍した後、1945年より種牡馬生活を始めた。米国ではステイヤーへの評価が低く、当初は人気がなかったが、2年目の産駒ヒルプリンス/Hill Princeが米国クラシック競走第二戦のプリークネスステークスをはじめ、アメリカンダービーやウッドメモリアルステークスなどに勝利し、ジョッキークラブゴールドカップで父子制覇を達成するなどの活躍で1950年の米国年度代表馬に選ばれると、その後も立て続けに活躍馬が出て一躍人気種牡馬となった。特に重要な後継者はプリンスジョン/Prince John(1953年)とラウンドテーブル/Round Table(1954年)である。

先にラウンドテーブルを説明するが、同馬は現役時代に66戦43勝の成績を残したタフガイであり、競走馬として1958年の米国年度代表馬に、種牡馬としても1972年の北米リーディングサイアーに輝くなど第一級の活躍を見せた。後継種牡馬ボールドリック/Baldric(1961年)は、引退後はまずフランスで活動し、次いで1973年にはわが国に輸入された。わが国では、天皇賞馬キョウエイプロミス/Kyoei Promiseをはじめ多数の重賞馬を輩出し、プリンスキロ系の底力を示している。ところが、ラウンドテーブルの直系子孫はその後世界的に先細りし、有力馬はほとんどいないのが現状である。

一方のプリンスジョンは、米国で走り9戦3勝。重賞勝ちは2歳馬限定のガーデンステートステークスのみと訊けば物足りない成績に思えるが、少ない勝ち星ながら2歳時には同世代の強豪キャリアボーイ/Career Boy、ナイル/Nail、ニードルズ/Needlesらに次ぐ評価を受けていた。ところが、来るべく3歳シーズンの飛躍を期していたプリンスジョンは、調教中の骨折のため競走生活にピリオドを打ち、早々に種牡馬入りすることになった。

種牡馬入りしたプリンスジョンは、先のライバルたちを圧倒する好成績を残し、何頭もの重賞勝ち馬を送り出した。とりわけ、同馬は母の父としての成功が目覚ましく、北米のリーディングブルードメアサイアーに4度も輝いている。念のために補足すれば、ブルードメアサイアーとは繁殖牝馬の父を指す言葉であり、プリンスジョンの娘が生んだ仔馬たちの活躍が顕著だったことを示す。当サイトがその最高の例を挙げるとすれば、文句なくアレッジド/Allegedである。アレッジドは、セントサイモン系が誇る最強馬リボー/Ribotの孫であり、祖父と同様に凱旋門賞連覇を達成した。このアレッジドの母の父がプリンスジョンであるから、セントサイモンの直系子孫の両親から生まれたアレッジドこそ、この系統の珠玉の一頭と言える。

アレッジド 1974年(米)
10戦9勝 凱旋門賞(仏G1)連覇

ホイストザフラッグ
Hoist the Flag
父の父
トムロルフ
Tom Rolfe
リボー
Ribot
ポカホンタス
Pocahontas
父の母
ウェイビーネイビー
Wavy Navy
ウォーアドミラル
War Admiral
トリオンプ
Triomphe

プリンセスパウト
Princess Pout
母の父
プリンスジョン
Prince John
プリンスキロ
Princequillo
ノットアフレイド
Not Afraid
母の母
デターミンドレディ
Determined Lady
デターミン
Determine
タンブリング
Tumbling
ⓒ 2021 The Eternal Herod

ついアレッジドの宣伝になってしまったが、話を元に戻すと、プリンスジョンの能力はむろん牡馬にも受け継がれている。後継種牡馬スピークジョン/Speak John(1958年)は、父と同様に多数の優駿を輩出。北米リーディングブルードメアサイアーの座にも就いている。そして、このスピークジョンの孫にサクセスエクスプレス/Success Express(1985年)がいる。サクセスエクスプレスは、米国の2歳牡馬最強決定戦ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル(米G1)を制したものの、重賞勝ちはこれ一つであり、通算成績も17戦4勝と振るわなかった。したがって、現役を引退したサクセスエクスプレスに米国で活躍する余地はほとんどなく、豪州のチャッツウッドスタッドに売却された [2]。ところが、この馬が豪州に渡ったことで、プリンスキロ系の命運が拓けるのだから面白い。

結果的にサクセスエクスプレスは、豪州およびニュージーランドで9頭のG1馬を含む32頭(31頭という説もある)のステークスウィナーを輩出する予想外の成功を収めた。この中には、1993年のベイヤークラシック(現レヴィンクラシック、新G1)の勝者アルアクバル/Al Akbar、レイルウェイステークス(新G1)を制した短距離王クージーウォーク/Coogee Walk、1999年にニュージーランドオークス(新G1)とアンセットオーストラリアステークス(現ヴァイナリースタッドステークス、豪G1)を含む重賞4勝を挙げた名牝サバンナサクセス/Savannah Successなどがいる。また、2000年生まれのポーラーサクセス/Polar Successは、高額賞金で名高い2歳戦のゴールデンスリッパ―ステークス(豪G1)を制するなど活躍した [3]。

サクセスエクスプレスの後継種牡馬はモスマン/Mossman(1995年)であり、現役時代は2歳シーズンのマイル戦クイーンズランドクラシック(豪G1)勝ちを含む22戦4勝の成績だった。見栄えのしない数字だが、3着以内に惜敗したG1競走も4つあり、マイル~中距離で善戦している [4]。しかし、モスマンは、2013/14シーズンの豪州2歳リーディングサイアーを獲得するなど種牡馬として成功。G1競走7勝の代表産駒バッファリング/Bufferingをはじめ5頭のG1馬と35頭のステークスウィナーを送り出した。ところが、モスマンには重賞レースに勝った息子が9頭いたが、バッファリングを含む8頭が去勢され、種牡馬になれないというまったくの悲劇に見舞われた [2]。結局、モスマンの有望なサイアーラインはたった一本、24戦8勝のG2勝ち馬ラヴコンカーズオール/Love Conquers All(2006年)に継承されたと言える。

この話が示す事実は、さらに深刻である。今後まとめるプリンスローズ系の二つのサイアーライン、すなわちプリンスビオ系とプリンスシュヴァリエ系は、事実上崩壊している。さらにいえば、20世紀まで米国で成功していたリボー系もここへきて急速に滅亡に向かっており、セントサイモンの直系子孫はほぼプリンスキロ系の最後の末裔ラヴコンカーズオールに集約されているのだ。これは、パールシークレット/Pearl Secretが失敗すれば直系子孫がほぼ断絶するというヘロド系の状況と酷似している。

ならば、セントサイモン系の行く末を見守る我々は、ラヴコンカーズオールの動向に注目しないわけにはいかない。むろん、G1勝ちのない戦歴を見れば、この馬が良質の牝馬を集められるとは思えなかった [2]。ところが、数少ない産駒が好走して2016年の豪州の新種牡馬ランキングでスマートミサイル/Smart Missileに次ぐ2位につけると、ラヴコンカーズオールは一転して注目の種牡馬となった [5]。ここ数年、豪州のリーディングサイアーランキングでは50位付近が定位置になっているが、BCRスプリント(豪G3)やジョージムーアステークス(豪G3)の勝ち馬アイムアリッパ/I’m a Rippa、デインリッパーステークス(豪G2)を制したラヴユールーシー/Love You Lucyなどを送り出し、実力を証明しつつある。少なくとも、ステークスウィナーを輩出している実績は見逃せず、セントサイモンがヘロドの子孫であることが確定すれば、この馬はヘロド系存続の希望を繋ぐ一翼を担うことだろう。セントサイモンの遺伝研究の進展とともに、プリンスキロ系の最後の旗手ラヴコンカーズオールの活躍に期待したい。

参考文献
[1] Prince Rose, Thoroughbreds don’t cry, November 15, 2014.
[2] J. P. Sparkman, Sparkman: End of the line for Princequillo?, Daily Racing Form, November 18, 2013.
[3] R. Burnet, Polar Success to stud, ThoroughbredNEWS, August 22, 2004.
[4] https://vinery.com.au/stallions/mossman/
[5] D. Bay, Love Conquers All, Bluebloods, November 2016.

私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
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