<5>宿命:ヘロド系は蘇るか。セントサイモンの残照

前回まで、ウィーン獣医科大学のバーバラ・ウォルナー博士らの研究成果を概観し、セントサイモン/St. Simonがヘロド/Herodの子孫である可能性があることを確認してきた。その真相はなお調査中だが、セントサイモンの勢力が消滅寸前のヘロド系を再興する切り札になり得るかを調べるのは興味深いことと思う。

私たち日本人の間では、セントサイモンは「19世紀末に現れた偉大な名種牡馬」というより、「セントサイモンの悲劇」の方で有名だろう。すなわち、1881年に誕生した同馬が競走馬そして種牡馬として空前の成功を収め、優秀な息子たちとともに大父系を築き上げながら、ライバルたちの勢いに呑まれ瞬く間に衰退したという過酷な物語である。

とはいえ、セントサイモンは1758年生まれのヘロドに比べ、123年も後の時代に登場した名馬である。この系統は退潮が著しいとはいえ、現在まで続くサイアーラインも確かにある。まず、この系統の全体像を把握するため、下図をご覧いただきたい。

セントサイモン系サイアーライン
セントサイモン系サイアーライン

一段目はむろんセントサイモンだが、二段目の左から代表的な息子たちを年代順に並べた。なんの因果か、最初に登場するのはヘロドの息子と同名のフロリゼル/Florizel(1891年)である。(注:識別のため、ヘロドの息子はFlorizel I、セントサイモンの息子はFlorizel IIと称する場合もある。)このフロリゼルの系統にはもはやほとんど勢いがないが、1932年のフランスリーディングを獲得したマシーン/Massine(1920年)や、ソビエト連邦随一の名馬として知られるアニリン/Anilin(1961年)など、印象的な活躍をした子孫も輩出されている。

セントフラスキン/St. Frusquinとパーシモン/Persimmonは1893年生まれの同期。セントフラスキンは11戦9勝2着2回という連対率100%の素晴らしい生涯戦績を収め、父セントサイモンに初めての2000ギニー(英国クラシック第一戦)制覇をプレゼントした。パーシモンとはまさしくライバル関係にあり、対戦成績ではセントフラスキンが勝ち越しているが、ダービー(英国クラシック第二戦)ではパーシモンに僅かに競り負けた。こうなればセントレジャーステークス(英国クラシック第三戦)で白黒はっきりさせるところだが、残念ながらセントフラスキンは深刻な故障のため、最終決着戦には臨めず引退となった。パーシモンもまた掛け値なしの強豪で、宿敵不在のセントレジャーを簡単に制すると、二冠馬として出走した英国の大レース、アスコットゴールドカップも圧勝するなど9戦7勝の好成績で堂々と種牡馬入りした。

両馬は、種牡馬としてもお互いが英愛リーディングサイアーを複数回獲得し合う良きライバルだった。後継者の点では、セントフラスキンの血統はすぐ先細りし、サラブレッドの父系としては早々に断絶してしまった。しかし、曽孫のオレンジピール/Orange Peelが馬術競技用の馬の父として今日まで名前を残している。片やパーシモンは、玄孫のプリンスローズ/Prince Rose(1928年)が素晴らしい能力を発揮し、フランスおよび米国で活躍した3頭の息子たちによって一大勢力を形成した。プリンスローズ系は現代にも生き永らえ、セントサイモンの血を伝えている。

続いて登場するのはラブレー/Rabelais(1900年)である。まだ長距離競走に権威があった時代の1903年のグッドウッドカップの勝者で、名のあるレースをいくつか制した実力馬だった。ただし、同期の英国三冠馬ロックサンド/Rock Sandには手も足も出ず、同時代の一流馬と渡り合うほどの力はなかった。ところが、フランスで種牡馬になった後の成績は抜群で、最初期の産駒ヴェルダン/Verdunがフランス2000ギニーやパリ大賞典を制して1909年にフランスリーディングサイアーを獲得すると、1914年の英国ダービー馬ダーバー/Durbar、1926年の凱旋門賞馬ビリビ/Biribiを始め多数の活躍馬を送り出した。ラブレーはその後も1919年、1926年にリーディングサイアーを獲得するなど、非常に息の長い活躍をして子孫を繁栄させている。

ラブレーのサイアーラインの拡大に成功したのは、アヴレサック/Havresac(1915年)とリアルト/Rialto(1923年)である。アヴレサックはイタリアで活躍し、伊ダービー馬3頭、伊オークス馬4頭を含む多数の重賞馬を送り出した。その中は、かの有名なイタリア人の馬産家フェデリコ・テシオ氏の傑作、カヴァリエーレダルピーノ/Cavaliere d’Arpino(1926年)がいる。テシオ氏は、英国やフランスに比べて大きく立ち遅れていたイタリア競馬界ではまさに異能の人物であり、独自の配合理論を武器に名馬を量産し、欧州の大レースを制圧した。テシオ氏は、毎年のように牝馬を入れ替え、自家生産馬を種牡馬にすることも少なかったが、サイアーラインがすべて自家生産馬で占められた稀有な例がここにある。すなわち、カヴァリエーレダルピーノ、ベッリーニ/Bellini(1937年)、テネラニ/Tenerani(1944年)、そしてリボー/Ribot(1952年)へと続く黄金の系譜である!

残念ながらテシオ氏は、リボーのデビュー前に他界してしまうが、遺されたリボーは1955年と1956年の凱旋門賞を圧勝で連覇。16戦無敗の戦績で種牡馬入りした後も大いに成功し、リボー系を形成した。リボーの系譜も断絶寸前とはいえ現代にも続いている。

ラブレーのもう一頭の子孫リアルトは、直仔のワイルドリスク/Wild Risk(1940年)が種牡馬として大成功。フランスで2度のリーディングサイアーに輝き、一時はワイルドリスク系を形成するほどの成功を収めたが、現代では衰退している。

セントサイモン系の最後に登場するのはチョーサー/Chaucer(1900年)である。チョーサー自身の競走成績は大したことがなく、活躍馬も牝馬ばかりで、英国ではサイアーラインを繋ぐことができなかった。しかし、フランスに渡った子孫が父系を守り、3代後のボワルセル/Bois Roussel(1935年)がセントサイモン系として四半世紀ぶりに英国ダービーを制すると、そのボワルセルから出た子孫が一時期大いに繁栄した。

ボワルセルの子孫はわが国とも関係が深く、アイルランドから輸入されたヒンドスタン/Hindostan(1946年)が大成功。戦後初の三冠馬シンザン/Shinzan(1961年)を筆頭に、多数のクラシックホース、天皇賞馬を送り出した。シンザンの系統は、皐月賞、菊花賞および天皇賞(春)を制したミホシンザン/Miho Shinzan(1982年)、重賞勝ち馬マイシンザン/My Shinzan(1990年)と受け継がれたが、その後は目立った活躍馬が出ることはなかった。

最後まで残ったボワルセルの系統は、凱旋門賞馬ミゴリ/Migoli(1944年)から続く系統で、デーモンウォーロック/Demon Warlock(2000年)がただ一頭、米国で種牡馬生活を続けている。種牡馬入りした当時の種付料は1,000ドルだったが、格安種牡馬にしてはまずまず成功したため、2021年現在の種付料は1,500ドルまで上昇している。2020年の種付け数は4頭だった。ここから後継者が出る見込みは薄いが、こういう消滅寸前の血統は捨てがたいものがあり、奇跡的な成功をつい期待してしまう。

以上がプリンスローズ系とリボー系を除くセントサイモン系の状況である。こうして見渡すと、成功を収めたのはほぼ英国外に逃れた子孫であることが分かる。英国では「セントサイモンの悲劇」によって早々に衰退したが、この系統自身は非常に地力のある血統であり、数々の名馬を生み出す源泉だった。

注:2019年になって、ウィーン獣医科大学のバーバラ・ウォルナー博士らは、セントサイモン系の出自の秘密に迫る新たな研究報告を行っている。その内容は以下の記事にまとめているので、併せて参照されたい。

私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
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