魂の雄叫び:アホヌーラ/Ahonoora

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生涯

競走成績

アホヌーラ! その魂の叫びは英国を越え、海を越え、エクリプス/Eclipse王朝の支配に戦いを挑むかの如く敢然と響き渡った [1]。

「エジプト人たちの戦いの雄叫び」という名を持つアホヌーラは、生まれながらの挑戦者だった。父ロレンザッチオ/Lorenzaccioは、チャンピオンステークスで栄光の英国三冠馬ニジンスキー/Nijinskyに土を着けた強豪だったが、種牡馬入りした後は苦戦が続き、アホヌーラらを英国に残したまま豪州に追放されていた [2]。母ヘレンニコルス/Helen Nicholsも、失敗種牡馬マーシャル/Martialの娘にすぎなかった [3]。

このように出自は地味だったが、成長したアホヌーラは歩行の姿が非常に素晴らしく、次第に注目を集めるようになった。1997年5月に迎えた初戦では2着に敗れたが、次戦で初勝利を挙げると、3戦目も2着と安定した戦いぶりを披露した。こうして飛躍の足掛かりを掴もうとしていたアホヌーラだったが、繋骨を骨折したために残りのシーズンを棒に振った [1]。

ほとんど1年間のブランクを経て、アホヌーラは戦場に帰ってきた。1978年の3歳シーズンは9戦2勝と数字の上では寂しい成績だったが、ほとんどのレースで掲示板に顔を出した。特に、グッドウッド競馬場で行われたスチュワーズカップでは、絶好の出足を見せて後の宿敵ダブルフォーム/Double Formを下すなど、才能の片鱗を示した [1]。

4歳シーズンでは、短距離重賞のキングジョージステークス(英G3)とスプリントチャンピオンシップ(英G2)を立て続けに勝ったが、後者は1着に入線したサッチング/ Thatchingがアブドゥ/Abduの進路を妨害したとして失格となったことによる棚ぼたの勝利だった [3]。実際に、格上のキングススタンドステークス(英G1)やアベイドロンシャン賞(仏G1)を始めとする重賞レースではライバルダブルフォームに幾度となく苦杯をなめさせられ、一流の域には届かない成績のまま引退することになった。

種牡馬として

引退後のアホヌーラは、アイリッシュ・ナショナルスタッドで種牡馬生活を送ることになった。種付料は2,250アイルランドポンドと安価だったが、現役時代の成績からしてまともな肌馬が集まるとは思えなかった [3]。実際に、アホヌーラにあてがわれた牝馬の質は低かったが [4]、初年度からアホハニー/Ahohoney、プリンセストレイシー/Princess Tracyの2頭の重賞ウィナーを送り出すと、2年目、3年目の産駒からは早くもパークアピール/Park Appeal、パークエクスプレス/Park Expressと2頭のG1ホースを出した。

俄然、注目度が増したアホヌーラだったが、勢いが衰えることはなかった。4年目の産駒ドントフォーゲットミー/Don’t Forget Meが英愛両国の2000ギニーを制したことで、ついに英国クラシックホースまで誕生させてしまった。5年目の産駒からはインディアンリッジ/Indian Ridgeが登場。短距離重賞3勝の実績とともに種牡馬入りした同馬は、ヘロド系最後の名種牡馬として数々のG1ホースを輩出することになる。こうしたアホヌーラの活躍は、かつて無能の烙印を押された父ロレンザッチオの名誉をも回復するものであった。

結局、アホヌーラは、10年の種牡馬生活の間ただの一年も途切れることなく重賞ウィナーを送り出し、1980年代のアイリッシュ・ナショナルスタッドを代表する名種牡馬となった [5]。

これほどの活躍が見過ごされるはずがない。人気が沸騰したアホヌーラは、クールモアスタッドに買収され、南半球でも種付けを行うシャトル種牡馬になった。ところが、その矢先、アホヌーラは繋養先の豪州の牧場で事故に遭い、14歳で死去することとなる。種牡馬として破格の成功を収めていたアホヌーラにとっては、早すぎる死であった [2]。

この事件をもって、アホヌーラは欲望の犠牲になったと指摘する声もある [2]。アホヌーラという金脈を探し当てた者が、もっと欲しい!もっと金を!とむやみに掘り進めた結果、坑道が崩落して台無しになってしまったとでも言おうか。アホヌーラの死後、9年目の産駒ドクターデヴィアス/Dr Deviousが、見事に英国ダービー(英G1)を制したことも、悔しさに拍車をかけることになった。

だがこれは、批評が難しい物語である。もし、もしもアホヌーラが豪州でも変わらぬ成功を収めていたら? インディアンリッジのような優秀な息子が豪州にも現れ、そこにしっかりと根を張って子孫を増やしていたら? アホヌーラは確かに豪州で死んだが、この豪州行きはヘロドの系譜を南半球にも伸ばす千載一遇の機会でもあったのだから。

いずれにせよ、豪州が誇り高き戦士アホヌーラの終焉の地となった。以後、ヘロド系のか細い手綱はインディアンリッジとその子孫に全面的に託されることとなる。

系譜(ウッドペッカー-トウルビヨン系)

アホヌーラ 1975年(英)
20戦7勝:スプリントチャンピオンシップ(英G2)
ロレンザッチオクレイロン
フェニッサ
ヘレンニコルスマーシャル
クエーカーガール
父系に関する注釈
ⓒ 2021 The Eternal Herod

参考文献

[1] K. M. Haralambos, “Ahonora” In The Byerley Turk: three centuries of the tail mail racing lines, Threshold Books, 1990.
[2] E. Parker, The Ahonoora story, or can the Herod influence be saved?, Reines-de-Course.
[3] T. Morris, Surprising Sires, Juddmonte, November 3, 2014.
[4] The Legacy of Failed Stallions, Sporting Post, February 4, 2015.
[5] D. McClean, Back in full health, Irish National Stud prepares for life after Invincible Spirit, Thoroughbred Racing Commentary, June 11, 2015.

私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
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