最後の巨星:インディアンリッジ/Indian Ridge

流星
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生涯

G1競走の大舞台では惨めに敗退し、現役時代は二線級の快速馬に過ぎなかったこの馬が、ヘロド系の命脈を保つ最後の砦になろうとは誰が予想しただろうか。

インディアンリッジは、18世紀の大種牡馬ヘロド/Herodの直系子孫が消滅の危機を迎えつつある中、1985年にアイルランドで生まれた。父アホヌーラ/Ahonooraは、英国の短距離戦線で活躍した格安種牡馬だったが、初年度産駒から重賞勝ち馬を2頭輩出、2年目の産駒パークアピール/Park Appealがアイルランドの2歳G1を連勝するなど順調な滑り出しを見せていた[1]。アホヌーラの活躍はその後も続き、英国のクラシック戦線でも優勝馬を送り出すなど、後世にヘロド系の血を伝える重責を果たしている [2]。

インディアンリッジの競走成績は父に似て、キングススタンドステークス(英G2)を含む短距離重賞を3勝した程度だった。1990年に英国サフォークのキャンベルスタッドで種牡馬になった当初はあまり注目されず、1歳年上の英愛2000ギニー優勝馬ドントフォーゲットミー/Don’t Forget Meの方がよほど将来を期待されていた。ところが、インディアンリッジは、自分よりも遥かに優秀な産駒を出す能力もアホヌーラ譲りで、瞬く間に当時の欧州を代表する名種牡馬にのし上がっていった [3]。

インディアンリッジは、初年度産駒から早くも重賞馬を出していたが、2年目の産駒ディフィニットアーティクル/Definite Articleがアイルランドナショナルステークス(愛G1)を、リッジウッドパール/Ridgewood Pearlがムーラン・ド・ロンシャン賞(仏G1)やブリーダーズカップマイル(米G1)を含むG1レースを4勝する大車輪の活躍を演じたため、俄然注目を浴び始めた。その期待に応えるかのように、インディアンリッジは種牡馬を引退するまで途切れることなく重賞勝ち馬を出し続けた。代表産駒の筆頭はドームドライヴァー/Domedriver(1998年生)であり、2002年のブリーダーズカップマイル(米G1)ではG1競走7連勝中の欧州最強マイラー、ザ・ロックことロックオブジブラルタル/Rock of Gibraltarに土を着ける快挙を成し遂げた。これに加えて、コンプトンプレイス/Compton Place(1994年生、ジュライカップ(英G1))、ナミド/Namid(1996年生、アベイドロンシャン賞(仏G1))、インディアンヘイブン/Indian Haven(2000年生、愛2000ギニー(愛G1))、リラックスドジェスチャー/Relaxed Gesture(2001年生、カナディアン国際(加G1))、リンガリ/Linngari(2002年生、ダルマイヤー大賞典(独G1))、デイトナ/Daytona(2004年生、ハリウッドダービー(米G1))、インディアンインク/Indian Ink(2004年生、コロネーションステークス(英G1))など、短距離から中距離までの様々な距離に対応したG1馬が含まれている。インディアンリッジの人気は沸騰し、2004年の種付料は85,000ユーロにも達した [4]。

しかし、インディアンリッジの偉大さは、単に仔出しの良さだけでは語れない。この馬の活躍時期は、現代競馬の主役サドラーズウェルズ/Sadler’s Wellsおよびデインヒル/Danehillと被っていた。1990年に初めて英愛リーディングサイアー(首位種牡馬)となったサドラーズウェルズは、1992年から2004年まで13年間もリーディングを独占し続け、ヘロド系最大の名種牡馬ハイフライヤー/Highflyerが18世紀末に打ち立てた不滅の大記録をついに抜き去った無双の大種牡馬である。一方のデインヒルは、2005年にそのサドラーズウェルズを破って王座に就き、今や子孫とともに世界中を席巻している。インディアンリッジは、この怪物どもを相手に1995年から2007年の間に9度も英愛リーディングのトップ10に入り、しばしば彼らに肉薄した。ヘロドの末裔がサラブレッドの歴史から退場しつつある中、ヘロド系最後の大物としての矜持を胸に戦い続けたのである。

インディアンリッジは、2006年10月17日、心臓発作のため繋養先のアイリッシュ・ナショナルスタッドで死んだ [5]。これまでのところ、父を超える大物種牡馬は現れていないが、孫世代も含め、ヘロド直系の血を絶やさぬための苦闘が続いている。

最初期の産駒ディフィニットアーティクルは、アイルランドで種牡馬になるや、長距離の愛セントレジャーステークス(愛G1)を4連覇したヴィニーロー/Vinnie Roeを輩出して面目を果たした。その後、ディフィニットアーティクルは、ヴィニーローとともに障害競走馬の種牡馬となり、数多くの有力馬を送り出している。ただし、わが国を例外として、諸外国の障害競走馬は事故防止や気性良化などの目的でほとんどが去勢されてしまうため、この系統が子孫を残す見込みはほとんどない。

最良の息子ドームドライヴァーは、初期の産駒ドームサイド/Domesideが3000メートル超の長距離重賞ヴィコンテスヴィジエ賞(仏G2)、グラディアトゥール賞(仏G3)を勝ったものの、期待したほどの結果を残せなかった。

リンガリもまた、ガーリンガリ/Garlingariがアルクール賞(仏G2)とドラール賞(仏G2)を含む重賞4勝を挙げたほかは、欧州やブラジルで走った産駒はほとんど実績を残せなかった。リンガリ自身は2015年には南アフリカに渡り、ラスモアスタッドで種牡馬生活を続けている [6]。ちなみに、ヘロド系とは何ら関係ないが、2021年1月現在、ブラジル競馬を代表するサンパウロ・ジョッキー・クラブとブラジル・ジョッキー・クラブのリーディングをリードしているのはわが国のアグネスゴールドであり、同国ではサンデーサイレンスの子孫が大活躍している。

フランスで種牡馬になったニコバー/Nicobarは、自分よりも優秀な産駒を出すという祖父アホヌーラ/Ahonoora以来のお家芸を継いでみせた。ニコバー自身はG1の勲章には手が届かず、マサイマイル(英G2)やエミリオトゥラティ賞(伊G2)を勝った程度の成績だったが、アジアオセアニアのG1を3勝したドゥーナデン/Dunadenを出し、一時ではあるが豪州の名馬リダウツチョイス/Redoute’s Choiceと豪州リーディングサイアーの座を争うほどだった [7]。なお、リダウツチョイスの父はデインヒルであり、ここでも父アホヌーラ以来の戦いを繰り広げることとなった。ニコバーの優秀な息子ドゥーナデンは英国のオーバーベリースタッドで種牡馬になったが、牧場での事故のため2019年に死んだ [8]。

結局、ドゥーナデンまでもが失われた今となっては、ヘロドの血統を死守する役目はほぼコンプトンプレイスの系統に託されたと言ってよい。コンプトンプレイスはヘロド系の最後の柱石として奮闘し、14世代の産駒から13頭の重賞馬を含む24頭のステークスウィナーを輩出したが、2015年の秋、ついに死去した [9]。コンプトンプレイスの産駒はその活躍とは裏腹に軒並み去勢されており、跡を継ぐ者は英国のパールシークレット/Pearl Secretほか数頭に限られているのが現状である。

インディアンリッジは、種牡馬として類稀な成績を残し、ヘロド直系の血を守るため戦った。しかし、これまでのところその業績を継ぐ者が現れず、この系統の滅亡は時間の問題となりつつある。このうえは、できるだけ早い時期にパールシークレットやその他の数少ない末裔が救世主となり、ヘロド復興の礎となることを願うばかりである。

系譜(ウッドペッカー-トウルビヨン系)

インディアンリッジ 1985年(愛)
11戦5勝:キングススタンドS(英G2)
アホヌーラ
link
ロレンザッチオ
link
ヘレンニコルス
ヒルブロウスイングイージー
ゴールデンシティ
父系に関する注釈
ⓒ 2021 The Eternal Herod

参考文献

[1] K. M. Haralambos, “Ahonora” In The Byerley Turk: three centuries of the tail mail racing lines, pp. 160-162, Threshold Books, 1990.
[2] M. Stevens, What now for the Byerly Turk sire line?, Racing Post, September 23, 2015.
[3] S. Whitelaw, Europe’s greatest sires of the past 20 years, Sporting Post, Oct 1, 2014.
[4] J. Hickman, Eleven stallions who made it big after getting a second chance, Thoroughbred Racing Commentary, December 7, 2015.
[5] Prominent Irish Stallion Indian Ridge Dead, BloodHorse, October 18, 2006.
[6] https://www.rathmorstud.co.za/Linngari.html
[7] J. Holloway and Bloodlines, Cup win won’t keep Redoute’s Choice down, The Sydney Morning Herald, November 4, 2011.
[8] J. Thomas, Melbourne Cup hero Dunaden dies at 13, BloodHorse, May 1, 2019.
[9] Colic Claims Stallion Compton Place at Age 21, BloodHorse, September 21, 2015.

私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
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