直系の誇り、絶やさぬために:マンソニアン/Mansonnien

夕陽に映えるティモシー
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生涯

競走成績

ヘロド系後期の名種牡馬リュティエ/Luthierは、今から約40年前にフランスで4度もリーディングサイアー(首位種牡馬)に輝き、優秀な子孫と後継者を何頭も輩出したことで知られている。ところが、この系統に勢いがあったのは贔屓目に見ても1990年代初頭までで、以降は世界的に滅亡の道を歩んでいった。

本稿に記すマンソニアン(もしくはマンソニエン)は、1984年生まれ。父ティップモス/Tip Mossは、強豪揃いのリュティエの直仔の中では目立たないが、1976年のエヴリ大賞(仏G2)を制し、仏独の重賞戦線で何度も掲示板に絡んだ実力馬だった。母アソシエーション/Associationはプリンスビオ/Prince Bioの末裔であるから、セントサイモン/St. Simonがヘロド系に属するとの最近の学説に従えば、両親ともにヘロド/Herodの血を引いていたことになる。

では、競走馬としてのマンソニアンの実像に迫ることにしよう。と言っても、本馬は人々の記憶に長く留められる一流馬ではなかったため、残された記録にも限りがある。これらをできる限り拾い上げていくと、最終的な勝ち星は5勝。3歳から6歳までの間に少なくとも17回出走している。出走したレースは2000~2400メートルの中距離・クラシックディスタンスであるので、スタミナに自信があったと言えよう。

マンソニアンの名前がはっきりと登場するのは、1987年6月に開催されたフランス3歳馬の最強決定戦、すなわちジョッケクルブ賞(仏G1)である。ここでのマンソニアンは1勝を挙げただけの戦績にしては善戦し、勝者ナルトーン/Natroun、後の凱旋門賞馬トランポリノ/ Trempolinoの壮絶な叩き合いを見ながら4着でゴールした。

3歳シーズンの戦績はこれ以外見当たらないが、4歳春にはエドヴィル賞(仏G3)に挑戦して6着に敗れている。しかし、翌月のロードシーモア賞(仏リステッド競走)では巻き返してこれを制すると、以後は重賞戦線の常連となった。ところが、次戦のジャンドショードネイ賞(仏G2)でボヤティノ/Boyatino の3着に敗れると、以後は惜敗が続く苦難の道のりとなる。

6月のラクープ(仏G3)で3着、7月のプリンスローズ大賞で2着、10月のアンドレバボワン賞(仏G3)で3着、11月のマルセイユ大賞(仏リステッド競走)で2着と、どうしてもあと一歩が届かない。年が明けて1989年の5歳シーズンとなっても勝ち星が遠く、3月のエクスビュリ賞(仏G3)と4月のガネー賞(仏G1)では、いずれもセントアンドリュース(もしくはサンタンドリュー)/Saint Andrewsの後塵を拝する3着に敗れた。

マンソニアンにようやく凱歌が上がったのは6月になってからで、テュレンヌ賞(仏リステッド競走)でおよそ1年ぶりの勝利を挙げた。9月のプランスドランジュ賞(仏G3)では3歳馬インザウイングス/In the Wingsに無傷の3連勝を飾られて再び脇役に甘んじるが、翌月の凱旋門賞(仏G1)にすべてをぶつけるべくロンシャン競馬場に推参。19頭中の13番人気にして、結果も勝者キャロルハウス/Carroll Houseや宿敵セントアンドリュースらに遠く及ばぬ13着と派手に砕け散った。

しかしながら、マンソニアンはここから最後の奮闘を開始し、前年2着に敗れていたマルセイユ大賞で雪辱を果たすと、6歳シーズン、1990年3月のエクスビュリ賞(仏G3)で待望の重賞初制覇を飾った [1]。

マンソニアンは、このたった一つの重賞勝ちを手土産に種牡馬入りすることができたのだから、その長く苦しい戦いは報われたのである。ただし、マンソニアンは障害競走用の種牡馬として供用されることになったため、当初は子孫を残す役割までは期待されていなかった。

種牡馬として

ところが、本馬は種牡馬として望外の成功を収める。2002年にフェルディナン・デュ・フォーレ賞(仏障害G1)とルノー・デュ・ヴィヴィエ賞(仏障害G1)で優勝し、数多くの重賞競走を制したカーリーフライト/Karly Flight(1998年)、2007年に愛チャンピオンチェイスとダイヤルAベットチェイスの2つの愛障害G1競走を制したマンソニ―/Mansony(1999年)、グランプリドオートムネ(仏障害G1)の覇者ミレニアムロイヤル/Millenium Royal(2000年)、愛チャンピオンチェイス(愛障害G1)をはじめ多数の障害重賞競走を制したタラニス/Taranis(2001年)など数々の一流馬を輩出した。

とりわけ、ゴールドオアシルバー/Gold Or Silverとの間にもうけたゴールデンシルバー/Golden Silver(2002年)は、アイルランド(愛国)の障害G1レースを3勝、障害G2レースを5勝する大活躍。この優秀な兄が4歳年下の全弟ダイヤモンドボーイ/Diamond Boy(2006年)を去勢の危機から救い、マンソニアンの直系子孫を残すことに成功した経緯は、当該馬の記事にまとめた通りである。

マンソニアン自身は、ゴールデンシルバー、ダイヤモンドボーイ兄弟の活躍を最後まで見届けることができず、2009年に母国フランスで死去した。だがこの不屈の馬は、子孫を残すことが絶望視される障害競走用の種牡馬となってもなお戦いを諦めず、祖父リュティエと貴重なヘロド直系の血を守り続けたのである。

系譜(トウルビヨン-リュティエ系)

マンソニアン 1984年(仏)
17戦5勝? エクスビュリ賞(仏G3)
ティップモス
link
リュティエ
トップツイッグ
アソシエーションマルグイヤット
ラスプ
父系に関する注釈
ⓒ 2021 The Eternal Herod

参考文献

[1] Mansonnien est mort, France Sire, February 20, 2009.

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私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
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