己が使命に生きる者:ティップモス/Tip Moss

遺跡に燃えるともし火
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生涯

競走成績と兄弟たち

自らが主役になれぬことは恥ではない。たとえ自身は一度も栄冠を掴めずとも、その奮闘は兄弟姉妹、そして後世の子孫の行く末をも変える力がある。フランスの名種牡馬リュティエ/Luthierの2年目の産駒ティップモス、そして1歳下の全弟ツイッグモス/Twig Moss兄弟の足跡を辿れば、一流になり切れぬ者もまたサラブレッド史の重要な立役者であることを再認識できるだろう。

ティップモスは、1972年、父リュティエ、母トップツイッグ/Top Twigの間にフランスで生まれた。母トップツイッグは、その生涯でリュティエとの間に3頭の仔をもうけたが、ティップモスこそはその長兄である。通算成績は36戦5勝と数字の上ではパッとしないが、1976年のエヴリ大賞(仏G2)を勝ち、重賞競走で少なくとも10回は3着以内に入るなど、1970年代後半の中距離~クラシックディスタンス戦線で存在感を見せていた。

ティップモスの全盛期は1976年~1978年にかけてであり、特に6歳シーズンの1978年には戴冠に2度王手をかけるところまで肉薄した。そのうちバーデン大賞(独G1)では米国産馬ヴァラ/Valourに及ばず、オイロパ賞(独G1)ではセントサイモンの血を引くロシアの勇者アデン/Adenに屈してそれぞれ2着に敗れている。この年は、さらにベルギーのプリンスローズ大賞でも2着、コンセイユドパリ賞 (仏G2)では3歳馬ノワールエトール/Noir et Orに後れを取って3着、ナント大賞(仏リステッド競走)でも3着となったが、これ以上の成績を残すことはできなかった。

一方、全弟ツイッグモスは、1976年にフランスの3歳馬最強決定戦ジョッケクルブ賞(仏G1)の前哨戦ノアイユ賞(仏G2)を制覇。オカール賞(仏G2)でも3着に入り有力馬の一角として大一番に臨むも、この年のエクリプス賞最優秀芝牡馬となる米国産馬ユース/Youthに及ばず3馬身差の2着に敗れた。兄よりも一足先に引退したツイッグモスだったが、この成績では欧州に相応しい居所を見出せず、豪州に渡った。しかしながら、結果的にはこれが妙手であり、この幸運な弟は少なくとも7頭のG1勝ち馬を含む41頭のステークスウィナーを送り出し、父リュティエの名を現地に知らしめることとなった。

派手な勝利はないが、ティップモス、ツイッグモス兄弟の重賞勝ちが母トップツイッグのオーナーの心を動かしたことは疑いない。トップツイッグは、兄弟の活躍が記憶に新しい1978年にリュティエと3度目の交配機会を得、翌年に娘マナル/Manalを産み落とした。

現役時代のマナルは3度出走して未勝利。競走馬としては凡庸な成績に終わったが、プリンセスマーガレットステークス(英G3)を勝ったムーバブ/Muhbubhなど優秀な娘たちを通じて世界中に活躍馬を送り出してゆく。名前を訊いてこれはと唸るほどの名馬はいないが、曽孫のグタイファン/Gutaifanは英仏の短距離重賞を2勝して種牡馬入り。2018年生まれの産駒クインズムーン/Queen’s Moonがわが国の中央競馬に参戦するなど、現代でも世界中に子孫が広がっている。

種牡馬として

さて、ここでティップモスの話に戻ろう。エヴリ大賞の勲章を胸に引退した本馬は、早くも仏リーディングサイアー(首位種牡馬)の肩書きを得て躍動する父リュティエの後継者の一頭として種牡馬生活を開始した。強豪揃いのリュティエ産駒にしては平凡な成績だった本馬はやはり大きな成功を収めることができず、わずかにペネロープ賞(仏G3)を勝った牝馬ブルーティップ/Blue Tip(1982年)、エクスビュリ賞(仏G3)の勝ち馬マンソニアン/Mansonnien(1984年)、ミュゲ賞(仏G3)の覇者ピッチョネ/Pitchounet(1984年)ら数頭の重賞勝ち馬を出すに留まっている。

成績が振るわなかったティップモスは、やがて障害競走用の種牡馬に転用され、20歳を超える1990年代に入っても現役を続けた。その苦闘は、ロングディスタンスハードルとノービスチェイスの2つの英障害G2レースを制したギャラントモス/Galant Moss(1994年)や、同じくノービスチェイスを勝ったMakounji(1994年)など数頭の活躍馬が出たことでどうにか報われたのだが、これが子孫たちの道をも切り拓くことになった点は見逃してはなるまい。

息子マンソニアンは、障害競走馬の父として5頭もの障害G1優勝馬を送り出す成功を収め、その事績を継ぐダイヤモンドボーイ/Diamond Boy(2006年)もまた現代のアイルランドで屈指の人気種牡馬となっている。サラブレッドとしてはこれ以上子孫が続くまいと見限られているリュティエ系だが、このダイヤモンドボーイの活躍は直系復興の期待を抱かせるに十分なものがある。

では、名残惜しいが話をまとめよう。こうして振り返れば、ティップモスは二流の域を出ず、弟や妹、息子たちのような幸運に恵まれることもなかった。だが、ティップモスの直系には、いかなる苦境に陥ろうとも戦いを諦めぬ魂が宿っていると言ってもあながち的外れではあるまい。競走馬としてはいずれも主役になれなかったティップモス、マンソニアン、ダイヤモンドボーイの父子三代は、しかし自身の成績を遥かに超える子孫にバトンを繋ぎ、希少なリュティエとヘロドの血統を現代に残し続けているのである。

系譜(トウルビヨン-リュティエ系)

ティップモス 1972年(仏)
36戦5勝 エヴリ大賞(仏G2)
リュティエクレイロン
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フルートアンシャンテ
トップツイッグハイパーチ
キンプトンウッド
父系に関する注釈
ⓒ 2021 The Eternal Herod

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