クラシックウィナーに託した夢:ドントフォーゲットミー/Don’t Forget Me

岩場に光る蛍
目次

生涯

競走成績

1969年のライトタック/Right Tack以来の英愛両国の2,000ギニーの勝者となるドントフォーゲットミー/Don’t Forget Meは、後世に名種牡馬として知られる父アホヌーラ/Ahonooraがまさに成功し始めた時期である1984年に生まれた。

父アホヌーラは短距離重賞を2勝した程度の格安種牡馬で、母アフリカンドール/African Dollも実績と呼べるものはまるでなかった。そのため、タタソールズの10月のイヤーリングセールでドントフォーゲットミーに付けられた値段はたったの19,000ギニーだった。ところが、この仔馬はリチャード・ハノン調教師によって鍛えられ、デビュー戦こそつまずいたものの、2歳のうちに早くもヴィンテージステークス(英G3)、シャンペンステークス(英G2)と重賞を連勝してみせた。

3歳シーズンでは、緒戦のクレイヴァンステークス(英G3)ではライバルのアジダル/Ajdalを捉え損なったが、次戦の英国2000ギニー(英G1)での逆転は十分に可能と思われた。1987年5月2日の本番を控え、ドントフォーゲットミーの馬主ジミー・ホーガン氏の一家は期待に胸を膨らませながらニューマーケット競馬場にやってきた。ところが、肝心のドントフォーゲットミーは輸送中に蹄を激しく負傷し、出走が危ぶまれる状態だった。獣医のマイク・オゴーマンをはじめ関係者の必死の努力により、ドントフォーゲットミーはどうにか出走に漕ぎつけたが、このレースのために乗り替わった名手ウィリー・カーソンには、異常を感じたら競走を中止せよとの指示が出ていたほどだった [1]。

ところが、ゲートを飛び出したドントフォーゲットミーは負傷の影響を感じさせぬ走りを見せ、最初からレースをリードした。1マイルの直線コースでの争いの中、アジダルを始めとするライバルが幾度となく競りかけてきたが、ドントフォーゲットミーは彼らを寄せ付けず、先頭でゴールを駆け抜けた。しかし、この馬の試練はこれで終わりではなかった。ドントフォーゲットミーは、わずか2週間後の5月16日には愛国2,000ギニーのスタートラインに立っていたのだ。このレースでも、ドントフォーゲットミーはライバルたちを終始リードし、1969年のライトタック以来の英愛2,000ギニー優勝馬の栄誉を勝ち取ることとなった。

種牡馬として

もはや貴重となっていたヘロド直系を守る役目はこの馬が担うと期待され、ドントフォーゲットミーはアイルランドで種牡馬になった [1]。種牡馬生活の初期から、ドントフォーゲットミーは北半球と南半球の種付けのシーズンに合わせてアイルランドと豪州・ニュージーランドの牧場を往復する生活を送り、テトラークステークス(愛G3(当時))を制したアイリッシュメモリー/Irish Memoryやリステッド競走に勝ったマイメモリーズ/My Memoirsらを輩出した。

代表産駒は、ドラール賞(仏G2)など中距離重賞を3勝したインサティアブル/Insatiableであり、同馬は障害競走馬用の種牡馬として、フランス最高峰の障害レースであるパリ大障害(仏G1)を制したリメンバーローズ/Remember Roseを出すなど活躍した。ただし、リメンバーローズは欧州の障害競走馬の常として去勢されていたため、子孫を残すことはなかった。ドントフォーゲットミーは、1994年頃までにインドに売却され、2010年に死去したとされている [2]。

時は流れ、ドントフォーゲットミーの生産者フランセス・ハッチ夫人も鬼籍に入った [3]。名伯楽リチャード・ハノン師も、2013年の終わりに第一線を退き、息子に代替わりしている [4]。ドントフォーゲットミーの父系が繋がらなかったことは残念だが、この馬が成し遂げた英愛2000ギニーの制覇の金字塔は色褪せはしない。英国リーディングジョッキー5回を獲得し、スコットランドを代表する名手となったウィリー・カーソンの業績録にも刻まれているように [5]、ドントフォーゲットミーの奮闘はこの馬に関わった人々の中にいつまでも記憶されることだろう。

系譜(ウッドペッカー-トウルビヨン系)

ドントフォーゲットミー 1984年(愛)
10戦5勝:英愛2000ギニー(G1)
アホヌーラ
link
ロレンザッチオ
link
ヘレンニコルス
アフリカンドールアフリカンスカイ
ミスリル
父系に関する注釈
ⓒ 2021 The Eternal Herod

参考文献

[1] K. M. Haralambos, “Ahonora” In The Byerley Turk: three centuries of the tail mail racing lines, pp. 160-162, Threshold Books, 1990.
[2] M. Stevens, What now for the Byerly Turk sire line?, Racing Post, September 23, 2015.
[3] L. Powell, News: Death of Frances Hutch, breeder of Don’t Forget Me, The Irish Field, August 21, 2015.
[4] Champion trainer Richard Hannon to retire and son will take over, BBC Sport, November 21, 2013.

[5] R. Philip, Scottish Sporting Legends, Mainstream Publishing, 2011.

私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次