19世紀の最強馬を決めるとしたら、エクリプス/Eclipse系の申し子グラディアトゥール/Gladiateurか、マッチェム/Matchem系の至宝ウェストオーストラリアン/West Australianかという、英国三冠馬同士の一騎打ちになるかも知れない。しかし、当時の規則でクラシック戦線に参加できなかったセントサイモンもまた、10戦10勝のパーフェクトレコードに加え、英国が誇る天才騎手フレッド・アーチャーや名伯楽マシュー・ドーソン師から考え得る限りの賛辞を受けた名馬の中の名馬である [1]。そしてもし、種牡馬としての成績を比較するならば、セントサイモンはまさしくこの時代の支配者であり、その勢いの前では栄光の英国三冠馬たちも物の数ではなかった。
1881年に英国で生まれたセントサイモンは、黎明期のサラブレッドに比べれば時代が近く、また、あまりに有名であるため、祖国はもちろん、わが国でも多くの競馬ジャーナリストや血統研究家がその業績をまとめている。セントサイモンの競走馬としての卓抜した能力(当時の英国の大レースであるアスコットゴールドカップとグッドウッドカップで強力なライバルたちをそれぞれ20馬身ぶっちぎって優勝したエピソードなど)については先達の名著をご覧いただくとして、本稿では同馬の種牡馬としての事績を取り上げたい。
セントサイモンが登場した1880年代、英国ではハーミット/Hermitが7年連続でリーディングサイアーに君臨していた。ハーミットの祖父はエクリプス系の名馬タッチストン/Touchstoneであり、ハーミットの前後の首位種牡馬を見渡しても、そのほとんどがタッチストンもしくはその祖父ホエールボーン/Whaleboneの末裔だった。このように同系統の支配が長期化すると、現役世代の活躍馬の血統も似たものになり、図らずも近親配合のリスクが顕在化するものである。その英国に、彗星のごとく現れたのがセントサイモンだった。
セントサイモンは、ハーミットらと同様にエクリプスを祖先とする血族だが、エクリプスの息子キングファーガス/King Fergusの代で早くも袂を分かち、ホエールボーンらとは別の系統として続いてきた傍系だった。ところが、この傍系のセントサイモンこそ、血の飽和状態に悩む人々にとってはまさに救世主だった [2]。
セントサイモンの産駒はとにかく強かった。英国の大レースを次々に制し、父を1890年から1896年まで7年連続、最終的には9度のリーディングサイアーに押し上げた。父の引退後も、同期のパーシモン/Persimmonとセントフラスキン/St. Frusquinがリーディング争いを繰り広げ、セントサイモン系を大いに発展させた。1910年代には、英愛リーディングサイアーの上位をセントサイモン系が独占するまでになり、この系統の産駒が大レースをことごとく制する状況だった。
また、セントサイモンは、ブルードメアサイアー(母の父)としても優れていた。セントサイモンの傍系の血は、母系に入っても優秀な産駒を生み出すために大いに貢献した。こうして、父系、母系ともにセントサイモンの血を受けた産駒が英国中に溢れ、また活躍したのである。この時代に爆発したセントサイモン系の影響力はすさまじく、現在ではセントサイモンの血を受け継いでいないサラブレッドは存在しないと言われている。
だが、このセントサイモン系の支配は唐突に終わる。一介の傍系血族が瞬く間に英国中の尊敬を集める主流血統となり、最高の栄誉を勝ち得たのち、一転して坂を滑り落ちていくのである。事実を見れば、1913年のデズモンド/Desmondを最後に、英愛リーディングサイアーの支配はぷっつりと途切れる。英国クラシック戦線で戦える子孫も姿を消していき、1914年のダーバー/Durbar以降は20年以上もセントサイモンの子孫が英国ダービーを制することもなかった。
この転落の原因は、しかし、あまりに活躍しすぎたセントサイモン系そのものにあった可能性がある。先ほど、セントサイモンは母系に入っても子孫に優れた才能を伝えたと書いた。セントサイモンこそ成功を約束する存在だったこの時代、牝馬のオーナーはセントサイモン系の種牡馬との交配が理想だった。ところが、その牝馬がセントサイモン系であれば、強度の近親配合を避けるためにセントサイモン系以外の種牡馬を探さざるを得ない。そうして仕方なく行われた交配が、極めて上手くいくのである。母の父としても素晴らしい遺伝力を持つセントサイモンのおかげで。こうして母系から強化された産駒が、やがてセントサイモン系を上回り始め、この系統の直系子孫を打ち破っていった。現在、セントサイモン直系の種牡馬は、ベルギー競馬史に輝く戦前の名種牡馬プリンスローズ/Prince Roseの末裔や、1955年と1956年の凱旋門賞を圧勝で連覇した16戦無敗の名馬リボー/Ribotの後継を含む数頭にまで萎んでいる。
このストーリーは大変有名で、わが国ではしばしば「セントサイモンの悲劇」などと形容される。セントサイモンの名前が日本人の心をこれほど揺さぶるのは、栄光と転落を味わった末ついに力尽き、滅びの道を辿る一族の儚い宿命に魅せられるからかも知れない。
セントサイモン 1881年(英) 10戦10勝:アスコットゴールドカップ |
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参考文献
[1] 石川ワタル, 世界名馬ファイル: バイアリータークからラムタラまで, 光栄, 1997.
[2] 吉沢譲治, 新版競馬の血統学: サラブレッドの進化と限界, NHK出版, 2012.