バイアリーターク/Byerley Turk、ダーレーアラビアン/Darley Arabian、ゴドルフィンアラビアン/Godolphin Arabianの三頭は、サラブレッド三大始祖と呼ばれている。これは、現代のサラブレッドの父系を遡っていくと、最終的にはこの三頭のいずれかに行きつくためだ。ただし、今を生きるサラブレッドは、バイアリータークの玄孫ヘロド/Herod、ダーレーアラビアンの玄孫エクリプス/Eclipse、ゴドルフィンアラビアンの孫マッチェム/Matchemのいずれかを必ず経由するため、それぞれの系統はヘロド系、エクリプス系、マッチェム系とも称される。
いずれにせよ、三大始祖はどこから来たのか? 三大始祖と言っても、原始の馬ではないので、父もいれば祖父もいる。その記録は必ずしも明確ではなく、バイアリータークは17世紀の英国人がオスマン帝国から奪取した軍馬だったとか、ダーレーアラビアンは英国人が中東の所有者から略奪したものだとか、ゴドルフィンアラビアンは18世紀に北アフリカから英国に輸入されたとかいったものだが、しかし、彼らもまたそれぞれの土地で生まれた馬には違いない。
この心躍るテーマの探究は、18世紀にはすでに始まっていた [1]。ただし、当時の記録は信頼性が乏しく、また、三大始祖の品種を確実に特定する術もなかった。ところが現代では、遺伝研究の進展により、近代から現代馬のサンプルから採取した遺伝子マーカーを辿ることで、サラブレッドの起源を探ろうとする取り組みが行われるようになってきている。たとえば、2013年に報告されたウィーン獣医科大学のバーバラ・ウォルナー博士らの研究成果が興味深い [2]。
自ら獣医でありブリーダーでもあるウォルナー博士は、長年にわたり現代の馬の起源を探究している。博士は、仔馬が父馬より受け継ぐ遺伝子の研究により、父系を追跡するために役立つ遺伝子マーカーを特定した。人類によって家畜化された馬は、より優秀な子孫を生産するために、特定の有能な種牡馬を数多くの牝馬に交配する作業が世界各地で行われてきた。このため、父系の遺伝子の多様性は非常に低く、限られたサンプル数からでも祖先が持っていただろう遺伝子の型(Y染色体ハプロタイプ)を推定し、その起源に迫ることができるという。
この報告において、ウォルナー博士らは、バイアリーターク、ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアンの三頭が同じハプロタイプ(HT2)を持っていたと推定されることを見出し、これまでの史料とも突き合わせて、バイアリータークとダーレーアラビアンの起源はアラブ種、ゴドルフィンアラビアンはアラブ種もしくはトルクメン種であるとした。
さらに興味深いことに、ダーレーアラビアンの子孫のうち、ホエールボーン/Whalebone(1807年)に辿り着くグループは、HT2からの突然変異で生じた別のハプロタイプ(HT3)を持っていることが明らかになった。したがって、エクリプス(1764年)、ポテイトーズ/Pot-8-Os(1773年)、ワキシー/Waxy(1790年)、そしてホエールボーンへと繋がるどこかの時点で、HT2からHT3への突然変異が起きただろうと結論付けた。
三大始祖がHT2を持っていたと推定されるのに対して、今を生きるサラブレッドの子孫はほぼエクリプス系(その主力はポテイトーズの系譜)であるため、大半のサラブレッドはHT3を持っていることになる。冒頭の図は、博士らの論文に掲載されたダーレーアラビアンの系譜を参考に作図したものである。ぜひ今一度立ち戻って眺めてみて欲しい。
なお、ウォルナー博士の上記研究の時点では言及がなかったが、エクリプスからキングファーガス系への分岐の先にはセントサイモン/St. Simonがいる。大種牡馬セントサイモンが、エクリプス系の主流種牡馬とは異なるハプロタイプを持っている事実は、博士のその後の研究成果を見れば暗示的なものだったのかも知れない。
参考文献
[1] J. P. Sparkman, Thoroughbred is not an Arabian, Thoroughbred Times, November 27, 2010, 37-38.
[2] B. Wallner et al., Identification of genetic variation on the horse Y chromosome and the tracing of male founder lineages in modern breeds, PLoS One, 2013, 8, e60015.