生涯
戴冠から引退まで
当サイトで初めて紹介したヘロド/Herodの子孫は2009年生まれのパールシークレット/Pearl Secretだったので、とうとう60年近く時を遡ったことになる。鹿毛の名馬クレイロン/Klaironは1952年生まれのフランスの馬で、1960年代ではヘロド系最高の種牡馬だった。
クレイロンの父クラリオン/Clarionは、凱旋門賞馬ジェベル/Djebelの初年度産駒である。競走成績では同期のDjelal/ジェラルやArbar/アルバーには及ばなかったが、ヘロド系のサイアーラインを現代までしっかりと継承させた点では多大な功績を残している [1]。一方、母カルミア/Kalmiaは、なんとガロピン/Galopinの6代目の子孫である。別記事にまとめたが、セントサイモン/St. Simonの父として知られるガロピンは、実は血統表に誤りがあり、19世紀中盤の名馬ザフライングダッチマン/The Flying Dutchmanを経由するヘロド系(ウッドペッカー系)の末裔だという。もしこれが正しいとすれば、クレイロンは両親からヘロドの血を継ぐこの系統の申し子だということになる。当サイトでは、「ガロピン系=ヘロド系」説を支持する立場で話を進めていきたい。
さて、クレイロンの詳細な競走成績は判然としないが、1955年の3歳シーズンにフランス2000ギニー(仏クラシック第一戦)やジャック・ル・マロワ賞を始めとする格式ある重賞レースを制したと記録されている。英国にも遠征し、英クラシック第一戦の2000ギニーにも挑戦したが、ここは勝ち馬のアワバブー/Our Babu、タメルラン/Tamerlaneらにクビ差及ばず3着までだった [2]。最終的に17戦6勝の戦績で引退すると、英国スウィンドン近郊のキングエドワードプレイススタッド、キングスウッドスタッド、そしてニューマーケット近郊のバートンスタッドと移動しながら種牡馬生活を送った。
種牡馬として
クレイロンは、種付けにはさほど熱心ではなかったらしいが、短距離から長距離まで幅広い距離で活躍する子孫を送り出す万能型の種牡馬として現役時代以上に成功した [2]。1959年生まれの初年度産駒からいきなり英オークスとヴェルメイユ賞(仏牝馬クラシック第三戦)を制したモナード/Monadeを出せば、2年目の産駒アルティシマ/Altissimaもフランス1000ギニー(仏牝馬クラシック第一戦)を勝ってこれに続いた。
キャリア中盤の1965年生まれの産駒からは、マイル~中距離で活躍したロレンザッチオ/Lorenzaccioと、リュティエ/Luthierの二枚看板が登場。ロレンザッチオはチャンピオンステークスで英国三冠馬ニジンスキー/Nijinskyを破る快挙を成し遂げ、リュティエは父に次いでジャック・ル・マロワ賞を制すると、フランスで4度のリーディングサイアー(首位種牡馬)になるなど大いに活躍した。ちなみに、ロレンザッチオやリュティエと同じ1965年生まれのダーバヴィル/D’Urbervilleは、短距離戦のキングススタンドステークスなどを制した優秀なスプリンターだった。
また、晩年の産駒シャンガムゾ/Shangamuzoは一流のステイヤーとして後世に名を残している。シャンガムゾは、英国伝統の長距離レース・アスコットゴールドカップやドンカスターカップなどを制し、スタミナ面でもクレイロンが優れた素質を伝えることを証明した。
その後の子孫たち
クレイロンが継承したヘロドの血筋は、近年までリュティエの子孫が担うと考えられていた。ところが、この系統は勢力拡大に失敗し、最近までフランスおよびわが国に直系子孫が生き残っていたものの、いわゆる平地競走(人工的な障害物などがない芝やダートコースで実施されるレース)においては断絶している。ただし、リュティエから数えて三代目のダイヤモンドボーイ/Diamond boyが障害競走用の種牡馬として人気を集め、2年目のシーズンには年間230頭を超える牝馬に種付けを行うなど、強烈な存在感を示している例もある [3]。とはいえ、英国の障害競走用の競走馬は気性を大人しくする目的で去勢されてしまうので、ダイヤモンドボーイが子孫を残せる可能性はほとんどないと考えられている。
結局、クレイロンの系譜は長らく”失敗種牡馬”の汚名を着せられていたロレンザッチオが継承することになった。ロレンザッチオの系統は、息子アホヌーラ/Ahonoora、孫インディアンリッジ/Indian Ridgeらが獅子奮迅の活躍を見せ、21世紀の現代までサイアーラインの伸長に成功している。
あまり有名でないクレイロンだが、ヘロド系後期においては主役級の評価を受けるべきことに賛同いただけるだろうか。父方からはトウルビヨン/Tourbillonを、母方からはガロピンを経由するヘロドの直仔ウッドペッカー/Woodpeckerの血がここで一つに交わり、数々の大レースを制したこの系統の底力を体現している。さらに、自らも万能型の種牡馬としてロレンザッチオとリュティエの二つの支流を作り出し、ヘロド系の活力を取り戻してみせたのである。ヘロドの血の偉大さを再認識させ、貴重な後継馬を残した点で、クレイロンはまさしく欠くべからざる存在だった。
系譜(ウッドペッカー-トウルビヨン系)
クレイロン 1952年(仏) 17戦6勝 仏2000ギニー |
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ⓒ 2021 The Eternal Herod |
参考文献
[1] A cheval sur l’histoire : The Byerley Turk, le créateur controversé, Francesire, March 29, 2020.
[2] K. M. Haralambos, “Djebel” In The Byerley Turk: three centuries of the tail mail racing lines, Threshold Books, 1990.
[3] http://kilbarrylodgestud.ie/