<3>疑惑:セントサイモンはヘロドの子孫か?

それは、セントサイモン/St. Simonが1907年に種牡馬を引退してからちょうど110年後のことだった。生物学の幅広い領域を網羅する一流の学術雑誌Current Biologyに、ウィーン獣医科大学のバーバラ・ウォルナー博士らの研究報告が掲載された [1]。ウォルナー博士といえば、遺伝子マーカーの追跡により、サラブレッド三大始祖が同じタイプの父系の遺伝子(Y染色体ハプロタイプ)を持っていたこと、その中でも、ダーレーアラビアン/Darley Arabianの子孫は、玄孫のエクリプス/Eclipseからその3代後の子孫ホエールボーン/Whaleboneに至るどこかの過程で遺伝子の突然変異があり、したがってエクリプス系の大部分の子孫はサラブレッド三大始祖とは異なるハプロタイプを持つと推定されることを指摘した人物だった [2]。

それでは、博士らの新たな研究成果を説明するために下図をご覧いただきたい。これは、ダーレーアラビアンの子孫とされる110頭の馬のサンプルに関してハプロタイプの系統解析を行い、その結果からダーレーアラビアン一族のサイアーライン(父系)の再構成を試みたものである。

ダーレーアラビアン系のサイアーラインの再構築結果
Y染色体ハプロタイプの系統解析に基づくダーレーアラビアン父系の再構築結果(Wallerら, 2017を基に作成)

サイアーラインは、左端のダーレーアラビアン(1700年)を起点に、下部のフライングチルダーズ/Flying Childers(1715年)と上部のバートレットチルダーズ/Bartlet’s Childers(1716年)に分岐している。フライングチルダーズの父系は、ハクニー種やスタンダードブレッド種などでは極めて影響力が大きいものもあるが、サラブレッドの父系としては既に消滅しているので、ここでは注目しない。したがって、重要なのはバートレットチルダーズの系統であり、曽孫のエクリプス/Eclipse(1764年)から分岐した血族が現代のサラブレッドの大半を占める。

さて、ここで私たちにとって興味深い解析結果が認められる。エクリプス系の主力はポテイトーズ/Pot-8-Os(1773年)、ワキシー/Waxy(1790年)、ホエールボーン(1807年)らを祖とするグループだが、ホエールボーンの子孫は何頭かの優れた種牡馬を祖として枝分かれするものの、わずかな例外を除き同じ系統のハプロタイプ(Td-W系)を持っている。(注:ウォルナー博士らの原著には、ホエールボーンの子孫の大部分はTd-W1、Td-W2またはTd-W3の遺伝子を持つと記載されているが、本稿では視認性を優先してこれらをTd-W系と一括りにしているので留意されたい。)

問題はエクリプスからキングファーガス/King Fergus(1775年)に分岐したグループだが、現代まで残っている子孫はキングファーガスから8代目のセントサイモン/St. Simon(1881年)を祖とする系統(サラブレッドの父系に限定すれば、セントサイモンの息子パーシモン/Persimmon(1893年)を経由する系統)のみである。もう一頭の優秀な息子セントフラスキン/St. Frusquinの系統はサラブレッドの父系としては断絶しているが、曽孫のオレンジピール/Orange Peelの末裔が馬術競技の分野で大活躍している。

ここで、このパーシモンもしくはセントフラスキンの子孫が持つハプロタイプが、TbもしくはTb-kである点にご注目いただきたい。この事実の意味するところは、セントサイモンを祖とするグループのハプロタイプは、エクリプスの他の子孫たちが持つそれとは異なるということである。そしてこのTbは、バイアリータークおよびヘロド/Herodの遺伝子を引き継いだサラブレッドたちと同じ系統のものだった!

しかし、ウォルナー博士らの研究成果を恣意的に解釈することは適切ではないので、ここではただ事実に即してお伝えしたい。この研究報告において、博士らは、セントサイモンがヘロドの子孫だと断定することはしていない。単に、ダーレーアラビアンのサイアーラインを再構築した結果、セントサイモンの系統を含む数か所に「エラーが認められた」と述べるに留めている。さらに言えば、セントサイモンの系統に「エラー」が生じた原因についても詳しい考察は述べられていない。

元々、ウォルナー博士らは、サラブレッドを含む現代の馬の品種を幅広く研究対象とし、その起源を突き止めようとしていた。したがって、最初からサラブレッドのサイアーラインに誤りがあると睨んでいたわけでも、サラブレッドの系譜に殊更関心があったわけでもなかったと推察する。とはいえ、ウォルナー博士らがサラブレッドに注目したことには合理的な理由がある。それは、この英国発祥のブラッドスポーツが、古くから父母の血統を克明に記録していたこと。そのため、遺伝子解析の結果を踏まえてサイアーラインを遡ろうとする場合に都合が良かったのだ。

しかし、よりによって19世紀で最も偉大な種牡馬セントサイモンのサイアーラインに誤りがあるかも知れないという話は、サラブレッドの血統に魅せられた者には大変な発見であることは間違いない。かつて、ヘロドの血統は19世紀末にはすっかり勢力を失い、以後はトウルビヨン/Tourbillonの系統が孤軍奮闘していたと考えられてきた。もしここに、大種牡馬セントサイモンの勢力が加わっていたら、ヘロド系の歴史はどのように変わっていただろうか。ウォルナー博士らは、この研究報告においてバイアリータークとゴドルフィンアラビアンのサイアーラインの再構築も試みているので、後日それらの結果と合わせて考えてみたい。

参考文献
[1] B. Wallner et al., Y chromosome uncovers the recent oriental origin of modern stallions, Curr. Biol., 2017, 27, 2029-2035.
[2] B. Wallner et al., Identification of Genetic Variation on the Horse Y Chromosome and the Tracing of Male Founder Lineages in Modern Breeds, PLoS One, 2013, 8, e60015.

私たちがいる限り、ヘロド系は終わらない。
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